2012年10月8日月曜日

iPadのマップ上で、“東京タワー” が凄いことになっていた。

 アップルの純正地図アプリが、世界中で話題になっている。その完成度に問題があるからだ。この地図アプリで“東京タワー”の3D表示をすると、凄いことになっていた。東京タワーがまるで、高層ビルのような姿になっている。あるいは、何か大がかりな工事用の覆いで包まれているかのようだ。大改修工事のために、こういう四角い覆いで囲まれた姫路城や東本願寺の映像をTVで見たことがある。アップルは、最新のOS「iOS6」からGoogleマップと決別し、独自開発の地図アプリを標準搭載するようになった。この地図アプリは、世界中で批判にさらされている。都市やランドマークの名前が明らかに間違っている、農場を空港と取り違えている…などなど、様々な不満の声が聞こえて来る。

 実は、アップルの純正地図アプリで “東京都庁”を見ると、なかなかリアルな形状をしている。どうやら東京タワーのモデリングは、まだ間に合っていなかったようだ。このような複雑なモデリングをするのには理由がある。アップルの地図アプリは、リアルな3D表示を目指しているのだ。Googleマップもアップルのマップも、リアルな3D表示を最終的に目指しているようだ。ただし、Googleの方がマップのデータ構築に関しては、遥かに先を行っている。Googleマップの登場から、7年以上が経過。Googleマップを担当する従業員は、7千人を超えるそうだ。アップルが、これに追いつくには相当な努力が必要だろう。それでもアップルは、独自の地図アプリの開発にこだわった。

 
< アップルの地図アプリで、ロンドン上空を旅する。

 アップルの地図アプリは確かに問題だらけだ。情報も少ないし、間違った表記もある。だから私は、Webブラウザを通してGoogleマップを使用する。Googleマップは標準搭載されなくなったが、ブラウザを通せば利用できる。このさいGoogleマップ以外の地図アプリもじっくり吟味することにした。Googleマップ以外にも、多様な地図アプリが存在する。それでも私は、アップルの地図アプリをチョっと気に入っている。まずエンター テインメントとして楽しい。このアプリによって、ロンドンやニューヨークを空から眺めてみた。写真に荒削りなところもあるが、世界観が美しくて、とっても楽しめる。まるでピーターパンになったような気分だ。

 アップルは未完成の地図アプリを世に送り出し、ユーザーのフィードバックによって完成度を高めて行く道を選んだ。未完成であることは承知の上でリリースしたはずだ。今回アップルが下した決断は、根本的に間違っていたのか…  それは今しばらく時が経てば自ずと結論が出るだろう。ただし基本的な誤表記を、もっと修正してからリリースするべきだったということは疑いようがない。それでもCEOが迅速に謝罪し、代替となる地図アプリを速やかに提示したことは、評価して良いと思う。近頃は、こういう謝罪の意を素直に表明できない企業が多いように感じる。

 この問題の行く末を、これからも注視して行こうと思うのだが。全ては、アップルが今後、どの程度のスピード感で地図を修正していくか…  に、かかっている。一つだけ確実に言えることは、通常の企業であるならば、もっともっと苛烈な批判にさらされていたであろう、ということだ。アップルという企業は、不思議な企業だ。今回の地図アプリでも、間違い探しを楽しんでいるような人々まで現れた。他の企業にはない独特の魅力がアップルにはある…  と感じる人々が存在することも間違いないようだ。

2012年9月5日水曜日

動物園のオランウータンが、「iPad」に熱中している… というお話。

 アメリカとカナダの動物園では、オランウータンがアップルの「iPad」を使って、アプリを楽しんでいるそうだ。『類人猿のためのアプリ』というプロジェクトの一環として、オランウータンの遊び時間にiPadを導入するという試みが行われている。iPadを導入しているのは、アメリカとカナダの12の動物園。このプログラムを運営するのは、「オランウータン・アウトリーチ」。ニューヨーク市を拠点とする非営利団体(NPO)だ。このプログラムは、中古のiPadを提供してもらったり、寄付金を募って運営されているようだ。

 オランウータンは週2回、iPadに触れる。そして、1回当たり15〜30分ほど様々なアプリを動かす。オランウータンが最も熱中するのは、人間の子供向けに作られた知育アプリだ。無料のお絵かきアプリやドラム・アプリで遊び、他のオランウータンの映像も熱心に見たりする。マイアミのジャングル・アイランド動物園のオランウータンは、コミュニケーション用のアプリを使って、人間と意思疎通する。例えば飼育員がiPadのアプリ上で何かの操作をすると、それに答えてオランウータンが反応し、それに対応するボタンを押す。その結果、人間とオランウータンとの会話が成立するのだ。オランウータンたちはiPadを使って、見慣れた物を識別し、自分の欲求や必要なものを表現するのである。以前に、手話をするゴリラが話題になった。今や霊長類のオランウータンが「iPad」を使う時代になったのだ。

 オランウータンにとっては、手話を覚えるよりもiPadの操作方法を覚える方が簡単なのかもしれない。オランウータンはDNAの97%が人間と共通であり、チンパンジーと並んでヒトに次ぐ高い知能を持っている。手話や道具を使ったり、鏡に映った姿が自分だと認識できる。このプログラムの目標は2つ。オランウータンに充実した活動を提供すること。そして、来園者に絶滅の危機にあるオランウータンの保護活動について興味を持ってもらうことだ。iPadを使うオランウータンを見るために、ジャングル・アイランド動物園には大勢の来園者が集まる。同動物園のトリシュ・カーンは、「絶滅の危機にひんしているからこそ、人々とオランウータンが接点を持つことがとても重要。オランウータンがこういった素晴らしい適応力と深い心を持っている驚異的な動物であることを人びとに知ってもらうことが私にとって最も重要なことだ」と語る。

 動物に電子機器を操作させることについては、賛否両論分かれるところだろう。しかし、この話からハッキリと分かることがある。「iPad」はオランウータンでも使えるほど、操作方法がシンプルであるということだ。Windowsパソコンをオランウータンに操作させるのは、ほとんど不可能だろう。iPadだから、こういう話になるのである。もうひとつ、この話から分かることがある。 iPadは、オランウータンの保護キャンペーンに使われるほど、ポピュラーで象徴的なデバイスであるということだ。多くの人々がiPadに興味を持ち、それまでのコンピューターとは少し違う道具であると知っている。だからこそ、オランウータンがiPadを使うという話に興味を持つし、なんらかの共感を呼ぶのだろう。誰もiPadに興味を持っていなかったら、このキャンペーンが成り立たない。

 スティーブ・ジョブズは生前、「一目見て、それが何をしてくれるのかを理解できるようにしろ」と言ったそうだ。 iPadに熱中するオランウータンの話を聞いたら、ジョブズはさぞかし喜ぶことだろう。将来は、オランウータンが「FaceTime」を使って、世界中の他のオランウータンとコミュニケーションをとるようになるのかも…。「Facebook」や「Google+」にまで、オランウータン用のユーザーインターフェイスが登場したりして…。




2012年8月20日月曜日

泥棒が盗んだ“ジョブズ愛用のiPad”を、何も知らないピエロが使っていたというお話。

 現在改装中の、故スティーブ・ジョブズの邸宅。今はジョブズの家族も不在だ。生まれて初めて“空き巣”を試みた男は、ジョブズの邸宅とは全く知らずに、そこへ盗みに入った。盗んだものは、ティファニーのジュエリーやアルマーニの腕時計などなど。その中には、3台のiPadも含まれていた。彼は盗んだiPadの中の1台を、高校時代の恩師に贈った。何も知らずにジョブズ愛用のiPadを受け取ったその人物は、泥棒をした男が高校生だった時、バスケットボール部のコーチだった。

 空き巣をした男の名は、カリエム・マクファーリン、35歳。金に困り空き巣を実行したという。盗まれたiPadを贈られたのは、ケネス・カーン、47歳。現在は、サンフランシスコの街頭などで曲芸をしている、プロフェッショナルの“ピエロ”らしい。カリエム容疑者とは、高校時代からずっと付き合いがあった。この、ピエロのカーンによれば、容疑者からは何の説明もなかったそうだ。「新しいiPadを買ったから、古いiPadをくれるのかな…」ぐらいにしか思わなかったという。このピエロは、とりあえず「ピンクパンサーのテーマ」をiPadにダウンロードして、曲芸の際にその音楽を流していた。数日後に、このピエロのところへ警察が来てiPadを没収。そこでピエロは、初めて、ジョブズ愛用のiPadだったと知るのだ。

 「まるでジョー・モンタナの家から盗まれたフットボールをもらうような話だ…」
故スティーブ・ジョブズ愛用のiPadで「ピンクパンサーのテーマ」を流し、曲芸という仕事に邁進した事を、ピエロは感慨深げに回想したという。マクファーリン容疑者は、2012年8月2日に逮捕された。ジョブズ邸で盗んだMacをインターネットにアクセスさせたら、セキュリティシステムが作動し居場所がバレたのだ。

 この話から2つの事が分かる。1つは、「iPadは、泥棒が盗みたくなるような魅力を持っている」という事だ。 もう1つは、「iPadは、その愛用者ならではの個性を感じられるデバイスである」という事だ。邸宅には、さぞかしアップル製品が多く存在したはずであろう。泥棒は、なぜジョブズの邸宅だと気付かなかったのだろう。ジョブズから盗んだMacでインターネットにアクセスしたら、どう考えてもすぐに足がつきそうなものだ。どうしてもMacやiPadを動かしたかったのだろうか…。我慢できなかったのだろうか…。iPadを贈られたピエロは、後からジョブズ愛用のiPadだと知って、感慨深げだったという。“ジョブズ愛用のiPad” という概念が、彼の中に特別な感情を呼び起こしたのだ。ジョブズ愛用のiPadには、どんなアプリが入っていたのだろうか。ジョブズはどんな音楽をiPadで聴いていたのだろう。ジョブズは、アイコンを、どんな風に並べていたのだろう。やっぱりSmart Coverを装着してタッチパネルを保護していたのだろうか。だとすれば、どんな色のSmart Coverを使っていたのだろう。私も、一度、スティーブ・ジョブズ愛用のiPadを見てみたいものだ。

 前回の投稿でも触れたが、iPadを操作するという行為には、独特の“手触り感”がある。アクセサリーにこだわって、自分だけのiPadを育てて行くのは楽しいものだ。自分好みのアプリをインストールして、自分好みの配置に整理して行く。これがiPadの楽しさである。iPadは、使えば使うほど、その愛用者の個性が反映されて行くのだ。スティーブ・ジョブズが愛用していたiPadには、彼ならではの個性や味が反映されていたに違いない。でも、ピエロが自分好みのアプリをインストールして自分好みのiPadに育て始めた瞬間に、それはジョブズのiPadではなくなってしまった。事前に知っていれば、ピエロは“ジョブズのiPad”をじっくり味わったことだろう。

 iPadは確かに工業製品であり、大量生産される、規格化された電子デバイスである。一見すると冷たい印象もあり、個性など存在しないガラスと金属の板きれのように思われるかもしれない。紙に印刷された本の方が、よっぽど温かみがあると思われるかもしれない。しかし、“ジョブズのiPad”だったのだと後から知って、感慨に浸ってしまう…。iPadとは、そういうものなのである。

2012年8月5日日曜日

文庫本の“手触り感”と、iPadの“手触り感”。

 紙の本を読むという行為には、独特の“手触り感”がある。指先に伝わる紙の感触。鼻に伝わる紙の臭い。ブックカバーに対する自分なりのこだわり。iPadを操作するという行為にも、独特の“手触り感”がある。アクセサリーにこだわって、自分だけのiPadを育てて行くのは楽しいものだ。

1. ブックカバーとSmart Cover

 私は、外出時に生まれる隙間の時間に、文庫本を読むのが好きだ。だから文庫本用の本革ブックカバーを持っている。ソフトレザーは使い込むほどに手に馴染みやすく、本の厚みに合わせてフィットさせやすい。扱い方も簡単で、値段もリーズナブルだ。本を汚れから守る事もできるし、“しおり”がカバーと一体化しているので、即座にそれを挟む事ができる。しおりを失くす事もない。私はiPadでもカバーを使用している。アップルの“Smart Cover”だ。これでiPadのタッチパネルを守る事ができる。Smart Coverには、ポリウレタン製と革製(イタリア製レザー)のものがある。私が使っているのは、グレー色のポリウレタン製カバーだ。マグネットの力で、即座に定位置に装着できるし、表面の手触り感もいい。覆うのは前面のタッチパネル側だけなのだが、その代わり本体背面の手触り感を楽しむ事ができる。iPadの背面には、陽極酸化処理というアルミニウムの表面処理が施されている。金属のマットな輝きは失われないが、サラリとした質感で指紋が付きにくい。金属のヒンヤリした温度が指先から伝わるのも心地良い。(負荷のかかる作業を長時間続けると、ほのかに温かくなる事もあるらしい。)Smart Coverは、10色から選べる。色によっては、汚れが気になる方もいらっしゃるかもしれない。私のカバーは薄いグレー色だが、今のところ特に汚れは気にならない。私は、ブックカバーにもiPad本体背面にも名前を刻印している。自分が好きな言葉を刻印するのも楽しいかもしれない。世界中でただ一つ、自分だけのオリジナルカバーやオリジナルiPadの誕生だ。

2. 紙の感触とタッチパネルの感触

 私は文庫本をめくる時の紙の感触が好きだ。もともとグラフィックデザイナーなので、紙にはこだわりもある。年月を経た本の紙は、黄色味が増して来るが、それもまた味。 読み進めていくうちに、しおりの位置が徐々に後ろへとズレていくプロセスが好きだ。どれくらい読み進めたのか視覚的に一目で分かる。実はiPadでも、タッチパネルに指先で触れる時の感覚が大切だ。私はiPadのタッチパネルに保護シートを貼っている。保護シートには、光沢(グレア)タイプと非光沢(アンチグレア)タイプがある。私が使っているのは光沢(グレア)タイプだ。光沢タイプは、液晶画面の鮮明さを損なわない。非光沢タイプは指紋が付きにくいのが特徴だが、画面の鮮明さを損なうように思える。私が使用しているのは、防指紋・光沢機能性フィルムである。光沢性を保ちながらも、指紋が付きにくいのが特徴だ。指先が少しひっかかる気もするが、それがまたいい。iPadの画面上でスクロール操作を指で行う時、タッチパネルを保護するシートの感触によって操作感が左右される。私はiPadでスタイラスペン(タッチペン)も使う。私のペンは保護シートに全くひっかからない。こういう微細な感触が重要だ。違和感のあるまま長時間使い続ける訳にはいかない。この保護シートは、完璧ではないが指紋も付きにくいと思う。こびりついた指紋を落とすには、アルカリイオン洗浄水でシート表面をクリーニングするのも良い。デジタル機器なのに、ちょっとアナログを感じる世界だ…。

3. 本棚の整理とアイコンの整理

 私は定期的に、本棚を分類・整理し直すのが好きだ。小説やノンフィクションといったジャンルで並べ直したり、カバーの色合いで並べ直したりする。カバーの色合いで並べ直すと、本棚が華やかになる。直近に読み直したい本だけを並べるコーナーを、ジャンルに関係なく片隅に設けたりする。本棚における本の並べ方によって、その人の個性を感じたりするし、どの本を手に取りやすくなるかまで影響すると感じている。本棚の整理は、自分の手を使って行う作業なので、これも本の“手触り感”の一部分である。iPadでもアプリのアイコンを整理する事は重要である。私は定期的に、アプリのアイコンを分類・整理し直すのが好きだ。その時の気分によって、色合いで並べ直したり、新しくフォルダを作ってジャンルに関係なく整理し直したりする。これも各ユーザーの個性が表出するところだと思う。iPadの場合、アイコンの整理や削除も指先で操作する。アプリの配置によって操作性も決まるし、何より自分らしいiPadを生み出す事ができる。アプリがなければ、iPadは、ただの持ち運べるディスプレイである。自分好みのアプリをインストールして、自分好みの配置に整理して行く。これがiPadの楽しさであり、これも指先で行うので、iPadの“手触り感”の一部分なのである。


 私は紙の文庫本を読むのが好きだ。これからも文庫本を手にし続けるだろう。一方でiPadを動かすのも楽しんでいる。それはiPadでしか味わえないアプリがあるからだ。「元素図鑑」や「お江戸タイムトラベル」は、iPadのようなタブレット端末でこそ最大限に味わえるエンターテインメントである。それらは、自分の指先を最大限に使って楽しむ新しいメディア上で動くものだ。iPadは、本体の素材や表面加工を徹底的に考えて設計されている。iPadに触れた時の、手の感触を非常に重視しているのだ。ユーザーインターフェイスも徹底的に計算されたデザインだ。指先で操作するための様々な工夫が施されている。私は紙に印刷された書籍を、単に電子化しただけの電子書籍を読むためにiPadを購入した訳ではない。iPadと電子書籍専用端末は、根本的に異なるものだ。電子書籍専用端末の“手触り感”は、今一つ見えてこない。電子書籍専用端末に関しては、これからも注視を続けて行こうと思う。

2012年7月20日金曜日

アップルのブランド構築。<シンプル>を貫く哲学。

 あのiMacは、最初『マックマン(MacMan)』という商品名で発売されそうになった。ソニーのウォークマンを連想させる商品名。今となっては驚くべき事だが、スティーブ・ジョブズは、わざとソニーを連想させるような商品名にしようとした。これにストップをかけたのが『iMac』という商品名を生み出したクリエイティブ・ディレクター、ケン・シーガルだ。ケン・シーガルは、 アップルの「Think Different」キャンペーンに携わり、「iMac」と命名した伝説的クリエイティブ・ディレクター。 今回ご紹介する本は、ケン・シーガル著 『Think Simple アップルを生み出す熱狂的哲学』(林信行:監修・解説  高橋則明:訳)。アップルとジョブズが、如何に「シンプル」という哲学にこだわっていたかを、著者ならではの実体験を交えて解説した書籍である。著者ケン・ シーガルは、デル、IBM、インテルなどの広告キャンペーンも担当していた。ジョン・スカリーがCEOだった時代のアップルも担当している。それらを総合的に比較評価できる人物なのである。彼はアップルと他のライバル企業を比較し、アップルの昔と今を比べる事もできる。なぜ『マックマン(MacMan)』という商品名を止めて、『iMac』という商品名を採用したか。その経緯も、この書籍に述べられている。

 この書籍では、ジョブズとアップルが、様々な局面で<シンプル>を追求する姿が述べられている。会議、広告、ネーミング、パッケージ、ウェブサイト、ブランド・イメージなど様々な要素が具体的な事例と共に登場。著者によれば、「<シンプル>を追求するアップルの姿勢は、他の企業では見られないレベルであり、単なる熱中や情熱を超え、熱狂の域にまで達している」そうだ。それは、ジョブズから始まった事だが、いまやアップルという企業のDNAに深く刻み込まれているという。意思決定プロセスや製品コンセプト構築において、無駄を省きポイントを絞り込む重要性は、誰でも思いつく事だ。ところが実際に行動に移すとなると、とたんに難しくなる。アップルは、<シンプル>を貫くという哲学を、組織として体現しているからこそ傑出した印象を残せるのだ。なぜアップルでは、このような事が組織的に可能となったのか。私は、この書籍を読んで、スティーブ・ジョブズのリーダーシップが重要な力であったと痛感した。この書籍を読むと、“リーダーシップとは何か?”を深く考えさせられる。

 野球でもサッカーでも、勝利を掴み取るにはチームワークが重要だ。 個別のメンバーが好き勝手に行動したり、モチベーションが低くては勝利など覚束ない。アップルのような巨大企業でチームワークを維持するのは、なおさら難しいだろう。かの「Think Different」キャンペーンは、一般の消費者だけではなく、アップルの社員もターゲットにしていた。著者によれば、絶滅の危機に直面している企業は通常、生き続けるために何でもする。しかし大抵、ブランド確立キャンペーンの費用捻出はそこに含まれない。ジョブズが復帰したときのアップルは、まさに絶滅の危機に直面していた。そのような状況で、ブランド確立キャンペーンに相当な資金を投入するのは、確かに図太い神経だ。メディアから辛辣に叩かれ、迷走する経営に疲弊し、アップルの社員は目標と士気を失っていた。アップルに復帰したジョブズは、「Think Different」キャンペーンによって、社員に“目標”と“誇り”を取り戻そうとした。「Think Different」という言葉は、アップルの本質を表現し、顧客の琴線に触れた。そして社員には、閧(とき)の声となった。通常の思考を踏み越えてこそ世界を変えられる…。「Think Different」キャンペーンのCMは、今見ても心を揺さぶられる何かを感じる。ジョブズが亡くなった今となっては、なおさらだ…。

 スティーブ・ジョブズの経営スタイルは、マイクロマネジメント。プロダクト・デザイン、基盤設計、OSの操作性、マーケティング、広告メディアの選択など、ありとあらゆる細かい要素について情報を吸収し、スタッフに意見を投げかける。いわゆるMBA(経営管理修士)的な経営スタイルは、「大局的に経営状況を把握し、細々としたプロセスは各部門長に任せる」というものだろう。ジョブズのスタイルは、明らかにこれとは対極にある。ジョズブは細かい情報も把握し、同時に大局的な視点も失わない。歴史に名を残す映画監督の仕事ぶりを思い出す。まるで、黒澤明を見ているかのようだ。巨大企業の複雑な組織は、放っておくと必ず“混沌”が蔓延する。ハッキリとした指針を示し、細かい情報を把握した上で、余分なコンセプトや機能を削ぎ落す。組織にはびこる“複雑さ”、“混沌”を取り除く。これがジョブズのリーダーシップだと思う。

 スティーブ・ジョブズは、次のように語っていたそうだ。

イノベーションをするときに、ミスをする事がある。最良の手は、すぐにミスを認めて、イノベーションの他の面をどんどん進める事だ。

  ジョブズは、“真に優秀なスタッフ”を見抜く力を持っていた。彼らの言葉には、真摯に耳を傾けた。熟慮の末、自分が間違っていたと気づけば、素直に彼らの意見を取り入れた。決して頑に自分の意見を押し通し続けた訳ではない。ジョブズは、自分の間違いを認める「強さ」と、大改革に挑む「心意気」を持っていたのだ。今の日本は、あらゆる業界とあらゆるシステムが変革を求められている。ジョブズの語った言葉の意味を噛み締める事には意味がある。

         
                                    
                                                         「Think Different」キャンペーンCM


                                  
                                                                           iMac CM




2012年7月8日日曜日

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その3)

 前回の投稿では、音楽業界における裏事情の一端を御説明した。音楽ビジネスにおける権利と法律に関しては、ここでお話しできない事も含めて、ディープで清濁入り交じった世界だ。しかし音楽業界及び出版業界や映画業界、そして放送業界などコンテンツ産業全体が、技術環境的にも社会環境的にも大きな岐路に立たされている事は間違いない。長らく業界に染み付いている慣習と既得権益そして旧来のビジネスモデル。それらを見つめ直し真剣に向き合い、根源的な変革を実行する事を迫られているのだ。今回は、iPadなどの新しいメディアインフラが、 コンテンツ産業に与える影響について考えてみたい。

3. iPadなどの新しいメディアインフラが、音楽や映画に与える影響

  iPadが凄かったのは、統合開発環境とハードウェアそして課金の仕組みが、トータルで整備された状態で登場した事だろう。iTunesとiPodそしてiPhoneで既に環境が整備され、そのコア・ユーザーが確保されているところへiPadが登場した。iPadは、アプリが無ければただの持ち運べるディスプレイだ。魅力的なアプリがあってこそ、iPadというハードも魅力があるものとなり得る。アップルは自社でOSとハードを設計した。またアップルは、自社でアプリを開発したし、他社のアプリも準備された。全てを野放しにしたら、ハードとユーザーインターフェイスの設計、そして総合的なアプリの完成度やコンセプトが、各社によって一貫性のない混沌とした状態となっただろう。基盤となるOSから、それの動くハードウェア。開発環境からアプリの販売と課金システムまで、トータルでアップルが生み出したからこそ、iPadという戦略と、そのデザインの一貫性を保てたのだ。

 今後iPadアプリの技術が高度化していけば、音楽と出版そして映画や放送は境界線が曖昧になっていく可能性があるのではないか。CDジャケットに代わるヴィジュアル・データと音楽データを統合的にデザインして、iPad用のアプリとして配信すれば、CDアルバムに変わる新しい音楽商品となる。紙に印刷される雑誌を、各ページ毎に画像化して電子書籍にするのではなく、雑誌的な世界観を最初からiPad用のアプリとして編集する事もできる。ヴィジュアルを重視した雑誌編集のノウハウを活かし、文字原稿を写真や動画と組み合わせて、モーショングラフィック満載のマガジン・アプリとしてまとめるのだ。近年、映画はフィルムレスが進んでおり、映画館ではデジタル上映が普及している。最新公開の映画本編が既にデジタル化されているのだから、それをストリーミング映像とし、メイキング映像や様々な作品情報と統合的にデザインし、アプリとしてまとめる事もできる。劇場公開と同時に、iPadにも映画を配信してしまうのだ。スポーツ中継のライブストリーミング映像と文字情報や各選手の経歴・成績を統合的にデザインしてアプリにする事もできる。

 上記のような場合、アプリを動かすハードも技術も共通だが、それぞれのアプリは音楽、出版、映画、放送それぞれの業界における商品の延長上に派生するものだ。内容によりジャンル分けする事ができるが、見た目はiPadで動くアプリである事には変わりない。音楽業界が送り出して来たCD(コンパクトディスク)の延長上にアプリが派生し、出版業界が送り出して来た雑誌・書籍の延長上にアプリが派生し、映画業界が送り出して来た劇場用映画の延長上にアプリが派生し、放送業界が送り出して来たTV番組の延長上にアプリが派生する。かつては、CD、雑誌、映画、TVというように物理的に全く別々の形態であったものが、iPad上ではアプリという共通のエンターテインメントで形を現してしまう。アップルは、iPodで音楽業界に革命を起こした。iPadで出版業界に激変をもたらそうとしている。今後は、映画業界、放送業界にも激震が走るのかもしれない。アップルのiPad以外のタブレット端末も多数発売されている。それらが普及すれば、なおさらコンテンツ業界は様々な対応を迫られるだろう。アップルは、薄型TV市場やカーナビ市場にも踏み込もうとしている。そこでも様々なアプリが投入されるだろう。

 CD、書籍、映画、TVという形態がいきなり消え失せるという事はない。 それぞれにiPadアプリとは違う魅力と感動、そして利便性がある。それと同時に、それぞれの業界に特有の慣習と既得権益そして旧来のビジネスモデルも存在する。スティーブ・ジョブズの凄い所は、OS、ハード、開発環境から販売・課金まで、一連の流れを全てアップルが保有し、その発想力が各業界の慣習や既得権益を飛び越えてしまう所にあるのだろう。普通は、業界との敵対を恐れて守りに入ったり、資金的リスクを恐れて一部を他社に任せると思う。よほどの揺るがない信念と強い意志力の持ち主なのだ。iTunesのスタート時に、アップルがレコード会社との複雑な交渉に成功したのは、スティーブ・ジョブスが自ら乗り出したからだった。ジョブズは音楽マニアで あり、何より音楽を心から愛していた。彼の、音楽を愛する全身全霊の情熱が、ミュージシャンやレコード会社の重役の心を突き動かしたのだろうと思う。だからジョブズは、音楽の権利問題をクリアできたのだ。彼の魂の迫力が、最終的には業界のしがらみや複雑な既得権益の壁を突き破ったのだと感じる。

 日本の音楽業界や出版業界における権利問題は、アメリカより複雑だといって良いだろう。 日本独自の慣習や特有のルールが存在するからだ。音楽業界の原盤印税や再販制度、出版業界の委託販売や出版契約、日本映画の製作・配給・興行の一体化と系列、放送と通信との境界線。旧い慣習や既得権益を守る事に執着すると、イノベーションに歯止めがかかるし、何よりもビジネスチャンスを逃してしまう。しかし、現状維持バイアスが強力に効いて、なかなか既成概念と独特の組織体質を打ち破る事ができない。日本のコンテンツ産業も正念場だ。特に音楽業界は、大きな転換期を迎えている。音楽の聴き方、販売方法、物流、収益の上げ方は大きく変貌しつつある。そして、音楽の存在意義が問われている。“違法ダウンロード刑事罰化“は、音楽を生み出すクリエイターへの正当な対価を守るという側面もあるとは思うが、レコード会社における当面のビジネスを守るという側面の方が強いのではないか。巨大なレコード会社も、あくまで音楽産業の1部分である。現在は「Pandora」や「Spotify」のように、広告の表示を受け入れれば、無料で100万曲や1600万曲といった単位の楽曲を自由に聴く事ができるサービスまで登場した。音楽の物理的複製物を大量流通させ大量販売し、莫大な収益を上げるばかりが音楽ビジネスではなくなった。音楽データを1曲ごとに有料で配信する事すら古臭くなりつつある時代だ。もはや高度な携帯情報端末やインターネットが存在しなかった時代とは全く別な世界なのだ。ミュージシャンもレコード会社も音楽を愛する消費者の立場に立って議論するべき時ではないか。利益を生み出すために一番重要なのは、ビジネスの論理で単に規制を強化する事ではなく、音楽を愛するユーザーの生き方を想像できる力だと思う。

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その1)  

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その2) 

2012年7月4日水曜日

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その2)

 音楽ビジネスは、権利ビジネスである。それに関連する法律も権利の内容も、非常に複雑だ。私自身も、到底全てを把握しきっている訳ではない。ここでは要素を絞り、本来なら複雑な話を敢えて単純化して、要点を御説明したい。

2. 音楽と権利・法律

 音楽ビジネスでは、音楽を制作する費用を出した者の権利を「原盤権」という。原盤権の保有者に配分される対価が「原盤印税」である。「原盤印税」は、例えば「CDの出荷枚数×20%(10%)」というように、CDの出荷枚数に20%や10%といった“みなし”の返品率をかけて基準となる数量が計算される。売れた枚数ではなく、出荷した枚数を基に計算されるのだ。個々のミュージシャンや個々の楽曲により契約内容が違うので、ハッキリとした数字を出す事はできない。音楽業界には、特有の「アドバンス(前払い原盤印税)」というものも存在する。この場合、1回支払われた前払い印税は返還しなくても良い事になっている。これらの事を考えると、次のような状況が発生し得る。これはあくまで、例えばの話だ。CDアルバムを初回50万枚出荷する。50万枚分で原盤印税が計算され、契約の範囲内での金額が原盤権保有者に支払われる事になる。つまり初回の出荷枚数が多ければ多いほど、一時的に大きな金額が動く事になる(その後は、例えば四半期毎に印税計算が行われたりする)。だが1年後、数十万枚が売れ残り返品される事となった。結果的には、CDが売れていない。故に、最終的には赤字になる。原盤印税の保有比率は、各ミュージシャン、各楽曲によって契約内容が違う。ミュージシャンの所属プロダクションが100%保有する場合もあるし、レコード会社が100%保有する場合もあり得る。プロダクションが70%、レコード会社が30%というように共同保有の場合もある。音源の制作費を分散出資し、リスクを低減させるのだ。各々のミュージシャンとの契約内容によって、細かい条件が様々に違う。しかし最終的に発生する損害は、業界の慣例上、レコード会社の持ち出しになる場合が多いのではないかと思う。

 上記の仕組みを利用すると、理論上は様々な事が考えられる。例えば、 決算期が近づく頃。どうしても売上金額を作りたい場合。合計30万枚分のCD入荷を、小売りや卸しに分散して頼み込む最終的に返品しても構わないから、という約束で今期内に受け入れてもらうのだ。今期内に30万枚出荷出来れば、それでまとまった金額を作れる。翌期になったら、返品してもらう。こうすれば前期の決算に関しては、数字を取り繕う事ができる。この場合も、原盤印税は出荷枚数に返品率をかけて計算される。翌期に赤字が付いて回るのは別途考えるのだ。大ヒット曲が生まれれば、赤字分を何とか解消出来る…。これはあくまで理論上の話であって、実際に行われているかは全く別の話である。この話は、出版業界の委託販売という仕組みを連想させる。出版社が生み出した本は、まず卸しを担当する“取次”が買い取る。そのタイミングで、出版社には取次からの現金が売上として入って来る。本は全国の書店に配送されるが、書店は売れ残った分を返品できる。返品分は、取次から出版社へと代金を請求される。出版社は、この代金を支払うために、新たに本を生み出す。自転車操業のような状態だ。

 日本のCDは、“再販売価格維持制度”という法律で守られている。 再販売価格維持制度は、「定価販売」を義務付ける法律だ。新聞、雑誌、書籍、音楽CD、音楽テープ、レコード盤の6品目は、文化の発展や情報の普及に貢献するものとして、この制度の適用が認められており、独占禁止法の適用を除外されている。つまりCDには、価格競争が発生しないのだ。この制度には期限が設けられている。古本や中古CDなどが安売りされるのは、価格保持期限を過ぎた商品だからだ。(ちなみに、DVDなどの映像商品は再販制度の適用品目ではない。)しばしば、この制度の廃止を求める声が上がる。しかしその都度、音楽業界は、この制度を維持するよう当局へ必死に働きかけて来た。この制度は、日本以外の国では既に廃止されているようだ。

 ところで音楽配信では、そもそも出荷枚数という概念が発生しない。音楽を売りたい者が登録料を支払って、1つのデータをサーバにのせてもらうだけだ。 その後は、消費者によって楽曲がダウンロードされる毎に、売上が発生する。CDの場合と状況が大きく違う。印税の配分に関して、根本的に契約内容を見直す事になるだろう。ここでは、数%の違いを巡って、関係各位のシビアな交渉が展開されるのだと推測する。また音楽配信は、再販売価格維持制度の適用外だ。海外の配信事業者との間で、激しい価格交渉が行われていると想像する。

 これまで述べて来たように、同じ楽曲でも、CDで売れるのと音楽配信で売れるのとでは大きな差があるのだ。音楽業界には、CDが存続して欲しい理由があった。“違法ダウンロード刑事罰化”の背景には、現在の音楽業界が如何に苦しい状況に置かれているのか透けて見える。音楽業界にとっては、CDの生産金額が急激に減少するのは、本当にキツイのだ。減少する分を、音楽配信により金額ベースで補えれば良い、というシンプルな話ではないのだ。CDの生産金額は、ピーク時の半分以下に落ち込んでしまった。しかも、音楽配信市場まで対前年比で16%減少してしまった。減少に歯止めをかける可能性が、ほんの僅かでもあるなら、打てる手は全て打ちたいのだろう。

 長らく日本の音楽業界に染み付いている慣習と既得権益そしてビジネスモデル。音楽業界は、根源的な変革を迫られているのだ。表面的な売上の数字にだけ捕らわれていても、根源的な問題は何も解決しない。日本のエンターテインメントの歴史は、言わば数々の偉大な先人たちが、大切に綴って来た1ページ1ページの積み重ねだ。我々の世代も、大切に1ページを書き加え、次の世代に引き継がなければならない。今の日本は、電機、エネルギー、医療、食品 etc. 根底からの変革を求められる業界が溢れている。音楽業界に限らず、巨大な壁を乗り越えることに挑んで欲しい…。

2012年7月2日月曜日

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その1)

 私は、17年間レコード会社に在籍していた。その間、数えきれないほど多くのミュージシャン達と、音楽グラフィック・デザインに関連する仕事をした。今回は、音楽業界に身を置いていた者として、“違法ダウンロード刑事罰化”について考えてみたい。違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案は、2012年6月20日に成立した。10月1日に施行され、違法にアップロードされた音楽ファイルなどをダウンロードする行為に2年以下の懲役または200万円以下の罰金(親告罪)が科されることになったのだ。この法改正の主な理由の1つは、“このまま違法ダウンロードを放置すれば、音楽の売上は減少し続け、音楽という日本文化を守る事ができない”というものだろう。しかし私は、この法改正によって、音楽の売上が伸びたり減少に歯止めがかかるのか疑問を抱いている。法律学的な細かい議論は専門家にお願いし、私自身、これからも学んで行きたいと思っている。ここでは、なぜ音楽業界がこのような方向に走ったのか。今後、エンターテインメント業界は、どのような方向に進んで行くべきなのかを考えたい。1. なぜ音楽が売れなくなったのか 2. 音楽と権利・法律 3. iPadなどの新しいメディアインフラが、音楽や映画に与える影響 以上の3点から考察する。音楽業界の問題を考える事は、他の業界の問題を考える事にも必ず役立つと思う。

 1. なぜ音楽が売れなくなったのか

 音楽が売れなくなった原因は、少子高齢化、メディアの多様化、楽曲の品質低下など様々な要因が複合的に絡んでいる可能性が高く、簡単に説明できるような問題ではない。ここでいう「音楽」には、CD、配信データ、ライブ・パフォーマンスなど様々な要素が含まれる。CDの売上が著しく低下した代わりに、ライブ事業や音楽出版事業の市場規模拡大に期待する意見もある。しかし、音楽業界にいた私の経験で言えば、ライブで大きな利益を出すのは本当に難しかったはずだ。ライブ事業を行うのは、主に、ミュージシャンが所属するプロダクションである。レコード会社本体が、直接ライブ事業を行う訳ではない。ライブの制作には多大な経費が必要だ。ライブツアーを敢行するには、レコード会社の援助やスポンサー企業からの協賛金が欠かせなかった。チケット料金やグッズの売上だけで回せるような状態ではない事が多かったと記憶している。私はレコード会社を去って久しいが、今でも状況は大きくは変わっていないと推測する。援助するレコード会社は、主にCDで利益を出すのだから、CDが売れなければ、ライブツアーの資金繰りも結局は厳しくなってしまう。小さなライブハウスであれば制作費は少なくて済むが、集客も売上も小さくなってしまう。巨大化した音楽産業は、それだけではとても維持出来ない。そもそも、無名の新人ミュージシャンのライブに大量集客する事が難しい。故に、まず小さなライブハウスからスタートして、次にCDを聴くリスナーを増やす。その後、大規模なライブツアーに来ていただけるリスナーを増やすのが基本だ。日本の音楽産業を支えているのは、今でも、CDの売上である。縮小するCDの市場規模は今でも、ライブ事業よりも大きい。

 CDの市場規模が縮小を続けるなら、それに伴ってレコード会社も縮小するしかない。全く新しい音楽ビジネスモデルが確立すれば、レコード会社に変わって新しい企業体が中心に躍り出る可能性もある。音楽産業全体の市場規模は、拡大に転じるかもしれない。私は、音楽の売上が低下している事よりも、音楽の存在感が薄れている事が重要な問題だと考える。

 私は、現在40代である。私が高校生、大学生だった頃は、携帯電話もインターネットもブログもTwitterも存在しなかった。そのような時代に、世代感覚を確認・共有する事は簡単ではない。周りの友人達と語らえば、志向性や問題意識を確認し共有できる。しかし日本という国全体で、自分と同じような志向性・問題意識を持っている同世代の人間が、どれくら存在するのか。それを知る事は難しい。そのような時代に、音楽や映画は、世代感覚を確認・共有するコミュニケーション・ツールとしての側面を持っていた。

 例えば「尾崎豊」。私は、熱烈な尾崎ファンではないし、彼のライブに行った事も無い。それでも、彼の音楽世界に登場する校内暴力の描写に心を動かされた。尾崎の歌う“心の葛藤”には、共感するものがあった。自分が共感した音楽を友人に薦める。すると、その友人が別の友人に薦める。尾崎の音楽には、私の世代の共通感覚が表現されていた。ライブに参加すれば、同じ様に共感している多数の同世代を目にする事になる。自分と同じ志向性、問題意識を持っている同世代の人間が、これほど多くいるのかと確認できるのだ。ミュージシャンは、自分に変わってメッセージを世界に発信してくれる代弁者だった。自分の愛する音楽や映画を表明する事は、自分を表現する事だった。自分の愛する音楽や映画が世間に広まって行く事は、自分の発信したいメッセージが世間に広がって行く事だった。

 だが、今は全く別な世界になった。テクノロジーを駆使して、誰でも手軽に、メッセージを発信し共有できる。スマートフォンとインターネットを使えば、写真や文章を世界に向けて投稿できるし、他の人々の投稿を見れば、自分と同じ志向性・問題意識を持った人々を具体的に確認できる。ブログで自分の哲学を表明し、世界中の人々とコミュニケーションを図る事もできる。このような時代の音楽は、コミュニケーション・ツールという側面の役割が低下する事は止むを得ないだろう。音楽は、他の側面での役割も果たさなければならない。

 音楽業界は、「音楽とは何か?」「音楽の果たせる役割とは?」といった根源的な問題に、もう一度真剣に向き合わなければならない。 表面的な売上を取り繕う事に終始していても、何も解決しない。

(その2)へ続く…

2012年6月1日金曜日

キッチンに、iPadのある生活。

 バング&オルフセンは、デンマークのオーディオ・ビジュアル機器ブランド。最大の特徴は、スタイリッシュなデザインだ。「BeoPlay A8」は、左右に円錐形のスピーカーを配置。中央のドックに、iPad、iPhone、あるいはiPodをセットして音楽を聴く。操作性に優れた、機能的で美しいデザインだ。ただし価格は120,750円。iPad本体よりも高い。バング&オルフセンは、創業87年の高級オーディオ・ビジュアル・ブランド。このブランドは、業界最高峰の音響性能を誇っている。このスピーカードックも、壁の前、コーナー、または部屋の中央と、設置位置に合わせて3段階に手動でサウンドを調節可能。AirPlay機能にも対応している。(ちなみに、バング&オルフセンから発売されている“テレビ”の価格は、システム一式で 200万円を超える。)

 キッチンにiPadのある生活を想像してみよう。大好きな音楽を聴きながら、料理を楽しもう。非力なスピーカーはiPadの欠点だが、バング&オルフセンがあれば大丈夫。iPadには、キッチンにおいて便利なアプリも揃っている。1年分のサラダ・レシピを教えてくれるアプリ。手元にある食材から、作れる料理を検索するアプリ。iPadなら、レシピが読みやすい画面サイズだ。キッチンタイマーもアプリに組み込める。料理毎に時間を合わせ済みのタイマーを、個々に組み込めるのだ。カレーを30分煮込んでいる間に、iPadで雑誌を読んだり、Eメールをチェックしておこう。タイマーが鳴ったら、料理の続きだ。高解像度ディスプレイで見るレシピ内の料理写真は、色鮮やかだ。出来上がった自分の料理も、iPadの内蔵カメラで即座に写真を撮っておこう。写真編集アプリiPhotoで色調補正をしてから、Webアルバムにまとめる。その場で、FacebookやGoogle+で全世界に公開。あなたの料理を気に入ったら、イタリアからフランスから、コメントが届くかもしれない。iPadには、カロリーコントロールを手助けするアプリもある。今日の体重を記録に付けて、健康管理にも気をつけよう。自分のオリジナル料理を、写真や文章でまとめておけば、自分だけのレシピ・ブックが出来上がる。いつの日にか、あなたのお嬢さんが結婚する時に、それを渡す事も手軽に出来る。データをクラウド上に保存しておけば、持ち運びにかさばる事もない。“我が家の味”を、次の世代に引き継ごう…。

 アップルが売っているのは、iPadという“端末”ではない。iPadという“ライフスタイル”だ。新しい“体験”だ。バング&オルフセンが売っているのも、オーディオ・ビジュアル機器そのものではない。それらがもたらす新しい音楽の聴き方、新しいライフスタイルだ。だから、どちらの企業もスタイリッシュなデザインに拘り抜く。波長が合うから、コラボレーションも成り立つのだろう。デザインそれ自体は、好みが分かれるところだ。しかし、新しい事に挑戦する姿勢は、誰もが認めるだろう。新しいライフスタイルの提案は、女性に対しても積極的に行われている。キッチンの在り方を、変えようとしているのだ。

 本来なら、日本のソニーが、こんな新しい体験を提案してくれるところだった。だが、今のソニーは巨大になり過ぎた。ソニーの携帯電話部門は、ゲーム機能を付加した携帯電話を作る。ソニーのゲーム部門は携帯電話の電波を利用する携帯型ゲーム機を作る。ソニーの電子機器部門は、携帯型ゲーム機ほどのサイズで多機能端末を作り、他のタブレット端末に対抗しようとする。コンセプトが重なる物を、3つの部門が別々に発売する必要はない。1つの製品に絞れば、宣伝費も効果的に使えると思うのだが…。それぞれの部門が売上げを立てねばならないから、そういう訳にもいかないのだろう。もはや横の連携がキチンと取れているとは思えない。

2012年5月18日金曜日

音楽クラウドが、日本でサービスを開始出来ない理由。(その2)


 クラウド型音楽サービスは、大きく2つに分類する事が出来る。オンラインストレージ系の音楽サービスと、ストリーミング系の音楽サービスだ。日本において、これらのサービスは、まだ本格的なスタートを切れない。この状況を打破するキッカケは、ミュージシャン自身の意志の力だと、私は考えている。

 オンラインストレージ系の音楽サービスは、「iTunes in the Cloud」や「Google Play Music」が代表的だ。 ユーザーは、手元にある音楽データをクラウド上に保存し、iMacやiPhone、iPadなどのデバイスから自由自在にアクセス出来る。“iTunes Match”という機能は、まず、ユーザーが持つ楽曲のリストと、iTunes Storeで販売されている楽曲のリストを突き合わせる。iTunes Storeで販売されていない楽曲だけを、クラウド上にアップロードするのだ。ユーザーは、データをアップロードする時間を、大幅に節約出来る。iTunes Storeで販売されている楽曲は、自分の音楽データをアップロードする代わりに、iTunesで販売されているデータをダウンロードする権利が与えられる。“iTunes Match”でクラウド上に保存した音楽データは、Macからはストリーミング再生もダウンロードも可能。iPhone、iPadからは、データをダウンロードした上で再生可能となる。“iTunes Match”のサービス利用料は年間24.99ドル(約2000円 -2012年5月現在- )だ。

 ストリーミング系の音楽サービスは「Pandora」や「Spotify」が代表的だ。まず、「Pandora」は、好みの音楽を分析し、ピックアップしてくれる機能が備わった音楽の配信サービスである。個々の曲について、音調、リズム、楽器、音楽スタイルに関連する約450の基準で分類されている。ユーザーが、自分の好きな曲やアーティストの名前を「Pandora」に入力すると、自分の好みと思われる様々なアーティストの曲を集め、ストリーミング配信してくれる。音楽の分析は、一曲一曲に対して個別に行われるので、アーティストや音楽ジャンルといった従来の分類では見つけにくかった曲も発見出来る。既に100万近くの楽曲をデータベース化している。次に、「Spotify」は、1600万曲が聴き放題の音楽配信サービスだ。「Spotify」は、ソーシャルネットワーク機能が充実している。詳細ページには、そのユーザーがよく聴くアーティストや楽曲、お気に入りとしてマークした楽曲、作成したプレイリスト、フォローしているプレイリストが表示される。これで、友達同士の音楽的世界観を完全共有して楽しむ事が出来る。「Spotify」は、「Facebook」と連携しているサービスだ。

 「Pandora」も「Spotify」も、有料プランは存在するが、基本は無料で楽しめるサービス。広告の表示を受け入れれば、無料で100万曲や1600万曲といった単位の楽曲を自由に聴く事が出来る。「iTunes in the Cloud」において、クラウドを通じて聴けるのは、所有する楽曲に限られる。しかし「Pandora」や「Spotify」では、100万曲や1600万曲が聴き放題なのだ。こんなサービスが普及したら、CDの売上枚数は、さらに減るだろう。「Pandora」や「Spotify」 が、単なる音楽ストリーミングサービスと違うところは、クラウドを通じパーソナライズされる事だ。溢れるような音楽の大海原から、自分好みの音楽を見つけ出す冒険。音楽を通じて拡がる交友関係。この楽しさは、インパクトがある。これまでの様に大手レコード会社から、一方的に音楽を売り込まれる訳ではない。音楽業界は、大きな転換期を迎えている。音楽の聴き方、販売方法、物流、収益の上げ方は大きく変貌しつつある。そして、音楽の存在意義が問われている。

 前回述べた通り、これらのクラウド型音楽サービスを日本で開始するためには、複雑な権利問題をクリアしなければならない。しかし、大手レコード会社は、なかなか機敏な動きを見せない。今こそ、ミュージシャン自身が、従来の常識に捕らわれず積極的に次の段階へ踏み出す時だ。例えば、スガシカオ。彼はプロダクションやメーカーに依存するのではなく、アーティスト自らが発信して行く事を決意し、プロダクションから独立した。例えば、ザ・クロマニヨンズ。彼らは、アナログ盤を主体に音源を制作している。アナログ盤を前提に音を創り、CDは副次的なものだ。アナログ盤ならではの音の響きを追求している。故に彼らの意図する音楽を、本当に味わいたいなら、アナログ盤を響かせるしかない。アナログ盤自体は、ユーザーが簡単に複製・配布出来るものではない。アナログ盤には、独自の付加価値が発生する事になる。

 もはやミュージシャンは、旧来のレコード会社と組まなくても、音楽を直接ユーザーに販売出来る。CDジャケットに代わるヴィジュアル・データと音楽を統合的にデザインして、iPad用のアプリとして配信する事も可能だ。ブログで直接、作品情報を発信し、ソーシャルネットワークで音楽ファンとコミュニケーションを図る事も出来る。インターネットを通じて、アナログ盤を全世界に販売する事も可能だ。日本の音楽業界を変革する重要な力は、音楽に対する限りない愛と情熱に溢れた、ミュージャン自身の意志ではないか。レコード会社が動くのを待っていては、手遅れになる可能性がある。

音楽クラウドが、日本でサービスを開始出来ない理由。(その1)

2012年5月14日月曜日

音楽クラウドが、日本でサービスを開始出来ない理由。(その1)


 アップルのiTunesが切り開いた、デジタル音楽配信は、“1楽曲ごとの購入”と、“価格破壊”をもたらし、CD(コンパクトディスク)を過去のものにした。これからは、広告収益を柱にした音楽クラウドサービスが、“サービスの無料化”と、“データの山からの解放”をもたらし、従来型の音楽配信を過去のものにするかもしれない。しかし、日本では、この種のサービスは本格的なスタートを切ることが出来ない。複雑な権利問題が存在するからだ。この権利問題を、なるべく単純化して、分かりやすく説明する事を試みたい。

 CDの売上げは、どのように配分されるのだろうか。上のグラフは、その内訳を大まかに示したものである。実際には、各ミュージシャンごとに契約内容が細かく違うので、配分の比率は一定ではない。従って細かい数字は出せない。このグラフは、あくまでも大まかな目安である事を御理解いただきたい。

 音楽を商品として考えたとき、音楽ビジネスには2つの権利がある。音楽を制作する費用を出した者の権利と、作詞・作曲など内容を創作した者の権利である。お金を出した者の権利を「原盤権」という。創作した者の権利を「著作権」という。お金を出した者に配分される対価が「原盤印税」創作した者に配分される対価が「印税」である。グラフを御覧いただきたい。印税は、JASRAC(日本音楽著作権協会)、音楽出版社、作詞家、作曲家などで配分されるので、さらに細切れになる。これを見ると、原盤印税のほうが印税よりも遥かに大きい。つまり、創作した者の権利よりも、お金を出した者の権利の方が強いのである。

 大物ミュージシャンは、自身の設立した会社(もしくは所属事務所)で、音源制作費を調達する。新人ミュージシャンは、レコード会社に費用を頼る場合も多いだろう。原盤権を持っていれば、レコード会社は自由にベスト盤を発売する事が出来る。自身で作詞・作曲をするミュージシャン本人が、どんなに嫌がっていても、ベスト盤の発売が可能なのだ。原盤権を持つ者の権利は、創作者の権利よりも強いのである。少なくとも理論上は、そういう事になっている。ミュージシャンが自身で資金を調達し、同じ楽曲(同じ旋律・同じ歌詞の歌)を録音し直せば、その原盤権も著作権も、両方がミュージシャン本人のものとなる。しかし、以前に録音した同楽曲の旧ヴァージョンの原盤権は、レコード会社が保有し続ける。

 音楽著作権は、主にJASRACで管理されている。原盤権は、レコード会社やミュージシャンの所属事務所などが、個別に管理している。音楽の権利は二重管理になっているのだ。 しかも契約内容は、各ミュージシャン、各楽曲で個々に細かく条件が違う。音楽クラウドサービスなど、全く新しい形態で楽曲を提供する場合、個々に契約内容を再検討しなければならない。レコード会社がOKすれば、あるいはミュージシャンがOKすれば全てOKというようなシンプルな構造ではないのだ。関係各位は、新しいサービスにおける配分率を少しでも高めようと、数%の数字を巡りシビアな交渉を展開するだろう。広告収益を柱にした、音楽クラウドの無料サービスが普及すれば、CDの売上げ枚数は間違いなく減るはずだ。そこには、ユーザーの利便性より既得権益を守る事に熱心な、ビジネスマンの顔がちらつく。

 新しいテクノロジーが登場する一方で、旧い条件下で行われていた契約や慣習は、変化について行けない。新しいテクノロジーの普及を妨げるのは、こうした埃をかぶったような業界の習わしでもあるのだ。最新のテクノロジーとは対極にある、地道な話し合いや人間同士の駆け引きの世界なのだ。iTunesのスタート時に、アップルがレコード会社との交渉に成功したのは、スティーブ・ジョブスが自ら乗り出したからだった。ジョブズは音楽マニアであり、何より音楽を心から愛していた。彼の、音楽を愛する全身全霊の情熱が、ミュージシャンやレコード会社の重役の心を突き動かしたのだろう…。

(その2)へ続く…

2012年5月8日火曜日

“音楽業界の崩壊”から、他の業界が学ぶべき重要ポイント3点。

 音楽業界は崩壊寸前である…と、言われて久しいと思う。スティーブ・ジョブズが、iPodとiTunesによって音楽業界に一石を投じてから、世界の日本の音楽業界は激変した。音楽業界の崩壊を考える事は、他の業界の激変を考える事にも必ず役立つはずだ。現在、様々な業界が激変の時を迎えようとしているが、音楽業界ほど激変した業界も滅多にないだろう。私は、17年間、レコード会社内でデザインの仕事に携わっていた。その経験を基に、“音楽業界の崩壊”について考察してみたい。









1. 小さな変化の積み重ねが“激変”である。
    ある日、突然、大変化が訪れる訳ではない。

 日々の日常業務に追われ続けると、長期的視点で業界全体を見渡す余裕を失ってしまう。音楽業界の変化も、一日一日、瞬間瞬間だけを切り取れば小さな変化であった。それが、1年、5年、10年と積み重なった結果、気がついたら激変となっていた。「塵も積もれば山となる」である。短期的視点でしか物事を見れなくなると、瞬間瞬間の小さな変化しか目に入らなくなる。その瞬間だけを切り取って見つめれば、誰がどう見ても大きな変化が起きている様には見えない。小さな変化にしか見えない。当初、日本市場における音楽配信の売上は、本当に微々たるものだった。
 業界全体を揺るがす様な環境変化を、早い段階で認めるのは非常に難しい。環境の激変は、そこに身を置く人間にも大きな変化を要求する。人間は、余計な負担を引き受けたくないのが普通だ。しかし、変化を早く察知しなければならない。 組織が大きくなればなるほど、それは洋上の豪華客船と同じである。豪華客船は急旋回する事が出来ない。氷山を避けようと思えば、早目に舵を切るしかないのだ。
 日本の音楽業界の危機感は、明らかに足りなかった。少なくとも私の分かる範囲では、あまりにも、根本的な危機感を覚えない人が多かった。しかし、決して脳天気だった訳ではない。皆んな、日々の日常業務をこなす事で、精一杯だったのだ。全力を挙げて、すぐ目の前の課題、明日の利益を見つめていたのである。10年後の見通しを冷静に考える視点がなかったのだ。だが、既に、多くの人にも気がつく時がやって来たはずだ。「これは、とんでもない事になった」と認識している人は、今現在であれば、音楽業界に多数存在しているだろう。もっと早く気がつく事が重要だったのだ。もっと早い段階で、新しいビジネスモデルにシフトを始めるべきだった。

2. “大成功”が、必要な改革を妨げる。 
    大成功は、大危機の呼び水になる。

 レコード盤からCDにメディアが変わり、音楽業界は多いに潤った。既に持っていたコレクションを、CDで再購入するユーザーも多かった。レコード盤よりCDの方が扱いも簡単な為、新しいユーザーを取り込む事にも成功したと思う。 かつては、50万枚売れれば大いに騒いだのがレコード会社だった。しかし、CDに切り替わってから100万枚以上売れるアルバムが頻繁に現れるようになる。松任谷由実の「天国のドアは、日本で初めて200万枚売れたアルバムとなった。この時、世間は“200万枚”という数字に多いに驚いたと記憶している。そして、宇多田ヒカルのCDアルバム「First Love」の売上枚数は、800万枚を超えてしまった。
 CD(コンパクトディスク)というシステムは、驚異的な大成功を納めた。本来なら、この時点で次のビジネスモデルを構築し始めるべきだった。1998年をピークにして、CDの生産金額は下降の一途をたどる。CDの年間生産金額は、その後の10年で、ピーク時の約4割にまで落ちた。その後も、音楽市場全体の規模縮小は続いている。生産金額が6割も減ったのだから、業界再編や消滅する企業が出て来るのも当たり前だ。少子高齢化の影響、違法コピーの増加、音楽のデジタル化、メディアの多様化など、もちろん様々な原因もあろう。
 日本の音楽業界は、レコード盤からCDというシステムへの変換はキッパリと実行した。しかし、CDから音楽配信への切り替えは躊躇した。CDは“再販売価格維持制度”という法律で守られている。勝手に値下げ販売する事が出来ないのだ。価格競争が発生しないのである。だが音楽配信は、その範囲内ではない。音楽業界は、既得権益を捨てられなかったのである。さらに、音楽業界はCDの巨大な生産設備を保有し、物流のネットワークも整備している。CDの小売業者との取引も考えなければならない。音楽配信では、これら全てが基本的に不要だ。音楽業界は、様々な“しがらみ”から逃れる事が出来なかった。大成功を納めたCDというシステムに、見切りをつける事が出来なかった。大成功を納めたCDが、足かせになってしまったのだ。もし大成功ではなく“中成功”であったら、見切りをつけたかもしれない。


3.  “やるべき事”は分かっている。
     問題は実行に移せない事である。

 今後、音楽業界は、どうするべきなのか。音楽業界の多くの人間が、イノベーションの必要な事を既に分かっているはずだ。なぜイノベーションが必要なのか、どのようにしてイノベーションが発生するのか教示してもらっても、余り意味がないだろう。問題は、やるべき事はとっくに分かっているのに、実行に移せない事である。CDの様な音楽パッケージの大量販売を中心にしたビジネスモデルに、見切りをつけなければならない。新しいビジネスモデルを構築しなければならないのだ。インターネット上に流れる音楽データは、止めようがない。音楽の複製とネット上での配布は、原則自由・原則無料にしてしまう方が良いのではないか。CDは、10枚組など限定盤の豪華なデザイン仕様でコレクターズアイテムのみとする。有料のライヴや、音楽ストリーミング時の広告収入を中心にして収益を得て、アーティストに利益配分する様な、根本的な大転換が必要だ。
 しかし、なかなか大きな改革を実現出来ないだろう。組織が大きくなればなるほど、全体の意思統一と連携が難しくなる。一人一人は分かっていても、集団になったとたん実行出来なくなる。既得権益も、なかなか手放せない。


 音楽業界は、内側からではなく外側から大変革が進むのかもしれない。スティーブ・ジョブズが音楽業界を変え始めたのも、外側からの力だった。今や、「Pandra」や「Spotify」の様な無料の音楽ストリーミングサービスが出現している。Pandraは「ミュージック・ゲノム・プロジェクト」の技術を利用して、ユーザーにプレイリストを提供する。この技術は、音調、リズム、楽器、音楽スタイルに関連する約450の基準から楽曲を分析し、分類化出来る。既に100万近くの楽曲をデータベース化し、無料で配信している。このサービスの収益源は、広告。Pandraの創業者は、音楽家であり作曲家だ。音楽に携わっているが、レコード会社のビジネスマンではない。

 次回は、PandraやSpotifyといった「音楽クラウド」とiPadの新しい関係について考察してみたい。

2012年5月2日水曜日

iPadアプリ「お江戸タイムトラベル」。時空を超えた散歩を満喫。

お江戸タイムトラベル
Time Travel to Edo !   
開発: HANDS’ MEMORY  販売: Arigillis Inc.
¥850(2012.5.2現在) カテゴリ: ブック

 iPadアプリ「お江戸タイムトラベル」。これは『熈代勝覧(きだいしょうらん)』という、約200年前の日本で描かれた絵巻を、存分に味わう為のアプリだ。『熈代勝覧(きだいしょうらん)』とは「輝ける太平の世の優れた景観」という意味らしい。随分と自信に溢れて、ゴージャスなタイトルの絵巻である。このアプリでは、全長12mの絵巻を途切れる事なくスクロール出来る。江戸に関する様々な豆知識も楽しむ事が出来る。

 20世紀末、ドイツの首都ベルリンで、この絵巻が発見された。約200年前の江戸・日本橋の姿を細部に至るまで描いている。作者や制作意図は分かっていないらしい。この絵巻に描かれているのは、江戸の日常風景である。当時の日本橋に軒を連ねていた89軒の商店と江戸随一の魚河岸の賑わい。武士、商人、職人、行商人、お茶屋の看板娘、寺子屋に向かう子供等、総勢1,671人が描き込まれている。さらに犬、牛、馬、猿、鷹まで細かく描き込まれた。このアプリの機能により、人々には吹き出しでセリフが用意されている。この町人の会話が、実に愉快だ。ただ単に絵画鑑賞的視点から美術品を見て楽しむのではない。描かれている内容を考えながら鑑賞するので、さながら江戸の旅行ガイドブックを読んでいるかのようだ。このアプリを楽しんでいると、実に様々な江戸の風景と人々に出会う。江戸には多様な職業があった事も分かる。


  この絵巻には89軒の商店が描かれているが、当時の流れをくむ店は、現在も幾つか日本橋に残っている。呉服屋と両替商を営んでいた江戸随一の大店・“三井越後屋”。これは現在の三越と三井グループのもとになった商店である。刃物を扱う“木屋”も、当時の流れをくむ店だ。三井本館と三越百貨店本館は、現在も江戸時代と同じ場所にある。“日本橋”も同じ場所にかかっている。このアプリとiPadを手にして、現在の日本橋を歩くと実に楽しい。時空を超えた散歩である。江戸と東京、両方を散歩する事になるのだ。江戸時代の名残が感じられる場所。江戸時代とは変化してしまった場所。両方を実際に体感する事が出来る。

 さあ、iPadを持って街に出よう。このアプリを動かしながら、日本橋を渡ってみよう。現場に行ったら、iPadの内蔵カメラで写真を撮り記録を残す。写真編集アプリ「iPhoto」で色調補正をしたら、Webアルバムにまとめて作品にしよう。それをFacebookやGoogle+を使用して全世界に公開。イタリアやアメリカから、写真について感想のコメントが届くかもしれない。日本橋を歩いて新たな疑問が湧いたら、その場でインターネットにアクセス。知りたい情報を、その場で手に入れる。iPadとアプリがあれば、それら全てを、街角で気軽に楽しむ事が出来る。iPadは、自分好みのアプリを取り揃えて自分流に楽しむ道具だ。新しいアプリに出会う度に、新しいiPad体験を味わう事になる。

2012年4月25日水曜日

書籍『アップルのデザイン』は本当に面白い。

 日経デザイン編『アップルのデザイン』という書籍を御紹介したい。これは、アップルの「デザイン活性型経営」を分析した書籍である。この本は、本当に面白い! この本を読んでから、“アップル”と“江戸時代から続く東京の老舗”には、多くの共通点があると考える様になった。
 
 この本では、様々な角度からアップルのデザインについて言及している。まず概論に続き、本物のデバイスを分解・切断して、細かな部品に付いて解説。内部構造デザインの話である。部品の写真や図版も豊富だ。この本によれば、iPhone4Sの内部構造は、とてつもなく複雑。日本国内メーカーのように生産効率だけを考えれば、ありえないデザインらしい。そして、ユーザーインターフェイスや店舗デザイン、広告デザインに触れる。特に面白いのは、アップルVSサムスンの法廷闘争を、豊富な写真・図版や資料で解説している事だ。サムスンの商品を、アップルのデザイン特許図版と全く同じアングルで撮影して横並びにしている。デザインが如何に似ているか、一目瞭然である。思わず大笑いしてしまう。サムスンの反論の内容も、豊富な写真と図版で解説している。アップルが特許出願し、公開されている特許公報の解説までしている。つまり、アップルは特許出願しているが、まだ商品化されていないアイデアまで解説しているのだ。アップルが、これからユーザーに提案しようとしている“未来のデザイン”を予測している。例えば、TVを楽しむ為の新しいユーザーインターフェイス、ワイヤレス給電出来るiPad用のドック、柔らかな素材により機種毎に変形フィットするユニバーサルドック。マルチ機能を備えたペン型のデバイスまで登場する。

 この本を読んで驚くのは、スティーブ・ジョブズが如何に「デザインの力」を重要視し、デザインに莫大な投資を行ったかという事である。製品発表会、広告、店舗、パッケージ、製品、インターフェイス、サービスにいたるまで、顧客とのあらゆる接点全ての細部に、拘りのデザインを施した。その根底にあるのは、ユーザーへの“もてなしの心”である。これは本来、日本人が得意としていたものである。

 江戸時代から明治初年にかけて創業された、100年以上の伝統を有する店だけが加入する「東都のれん会」という組織がある。その組織が2000年に「東都のれん会五十年史」を編纂した際、各店の家訓を集めるという企画があった。統計的に見ると、1番多いのは「品質を落とさない」「最高の原材料を用いる」という系統の家訓で15店。2番目が「手を拡げない」「誠実第一」という系統の家訓で5店。3番目は「本業以外の禁止」という家訓が4店だったという。

 『アップルのデザイン』を読むと、 「品質を落とさない」「最高の原材料を用いる」という信念が、アップルでも貫かれている事が良く分かる。アップルは、事業分野を限定している事も事実だ。例えばソニーは、エレクトロニクスから映画事業、音楽事業、金融事業まで手を拡げている。アップルが手掛けているのは、コンピューター・テクノロジーを中心とした電子機器とソフトウェアやサービス、そしてエンターテインメントのみである。銀行や保険会社を経営している訳ではない。ウォルター・アイザックソンによれば、スティーブ・ジョブズが目指していたものは目先の利益ではない。アップルという企業を100年存続させる事だったという。

 規模も分野も全く違うが、スティーブ・ジョブズの考え方は、日本の老舗と幾分通じる所がある。そして日本の大企業は、何か大切なものを失いかけている。近頃の日本企業は、規模の拡大と目先の利益に捕らわれ過ぎていたのではないか。長期的な展望に立って流れを読む事が出来ず、世界の潮流に飲まれて経営が悪化すれば、すぐにリストラでその場をしのごうとする。根本的な解決には至らないから、少し時間が経てば、またリストラに走る。江戸時代の商人道や経済システムにも、まだ学ぶべき所が残っているのかも知れない。

2012年4月21日土曜日

タブレット端末が子供に与える影響を考えるべき理由。

 YouTubeに 「iPadの達人」というタイトルの動画がアップされている。1歳6ヶ月の子供が、見事にiPadを使いこなしているのだ。何の違和感もなく、 ホーム画面を指でスワイプし、吟味した上でアイコンをクリック。ホームボタンも効果的なタイミングで駆使。iPadを縦横無尽に使いこなしているのである。まさに“達人”である。子供が、これ程までに違和感なく簡単に操作出来る電子機器が、これまで存在しただろうか。この動画を見ると、自然と 笑ってしまう。

 2011年、マーケティング会社Kids Industriesが英米2,200人の保護者、子供を対象にある調査を実施した。その調査によると、3歳から8歳までの子供のうち、15%が両親のiPadを使用してお り、9%は自分用のiPadを、20%は自分用のiPodを所有している事が分かったという。同時に、タブレット端末への過剰な依存は、自閉症や注意欠陥障害などの発達障害を引き起こす可能性があるとする研究者もおり、専門家の間でも議論されているという事だ。

 どんなデバイスでも、過剰に依存すれば、様々な負の側面を誘発する可能性はあると思う。日常生活に於いて、実体験とiPad体験のバランスを保つことは非常に重要であろう。iPadはあくまでも道具であって、万能なベビーシッターではない。しかし、注意しながら使いこなせば、iPadは子供にも高齢者にも、素晴らしいメディア体験をもたらしてくれる。上記の調査では、タブレット端末の使用が子供にとって有益であるとする保護者は77%となり、また同数が「タブレットは子供の創造性を高めるのに役立つ」と考えている事が明らかになった。


 ドイツのヨハネス・グーテンベルク大学マインツのStephan Fussel博士を中心とした研究チームによると、高齢者にとっては、紙の本よりもiPadで読む方が3倍速く読むことができる事も明らかとなったという。iPadであれば、細かい文字を自由に拡大出来る。背景と文字の色を自分好みの組み合わせに変更して、読み易くする事も出来る。これらの事は、紙の本では絶対に出来ない。iPadは子供でも簡単に操作出来る。これは高齢者にとっても操作が容易な事を意味する。私の母は、80代である。母にWindowsパソコンの操作方法を理解してもらうのは、ほとんど不可能だ。Windowsは操作方法が複雑過ぎる。しかし、iPadなら私の母でも操作方法を覚える事が出来るだろう。iPadは、電源ボタンを押せば即座に起動する。後は指でページをめくってアイコンを押すだけである。終了させるのもボタンを押すだけだ。高齢者でも、読書やインターネット体験で新しい世界に再度触れる事が出来る。スティーブ・ジョブズが、なぜ操作性も含めた総合的なデザインに拘り抜いたのか。それを、再認識させられる。

 iPadが登場しても、iPadによって紙の本が絶滅する事はない。iPadは紙の本の延長上に位置付けられるものではない。iPadが提供するメディア体験は、紙の本とは全く別のものである。本には本の代え難い魅力がある。紙の臭い、質感、手触り。紙のページを捲って行く時のリズムとゆったりした時間。本それ自体を所有する喜び。時に書籍は、それ自体が美術品のような美しい装丁の逸品もある。iPadが提供するのは、それらとは全く別の体験である。テキストと美しい画像、動画そして音楽が調和し統合される。そして、それらを指先一つで操作出来る。このような全く新しいメディアに、子供の頃から触れられる時代になった。タブレット端末が子供にどのような影響を与えるのか。それを今後も研究し考え続けるべきであろう。そしてアプリ開発者も、アプリ自体が社会に与える影響を自覚しなければならない。アプリ開発者にも社会的責任の自覚が求められる。

2012年4月16日月曜日

iPhotoの“フォトジャーナル”を、新iPadで試してみた。

 アップルの写真編集ソフト『iPhoto』のフォトジャーナル機能は、Webアルバムを自動的にレイアウトしてくれる機能だ。誰でもアクセス可能なWebアルバムとして、ネット上に公開する事も出来る。全く同じ画像を使用してGoogleの『Picasa』とアップルの『iPhoto』の両方でWebアルバムを作成・公開してみた。iPhotoの欠点も見えて来た。

 iPhotoのフォトジャーナルでは、写真のレイアウトやサムネール表示される部分のトリミングを自由に調整出来る。iPadを使用する場合、写真のサイズ変更は指先で触れるだけで良い。写真をスクリーン上の別の位置に動かす時も、指先でドラッグするだけである。ちょっとしたコメント、マップによる位置情報、日付、天気の情報もレイアウト内に加える事が出来る。ページを分けて増やす事も出来る。ストーリー性をWebアルバムのヴィジュアルに盛り込む事が出来るのだ。ネット上に公開した後、Webブラウザでチェックしてみる。iPadで閲覧する時は問題ないのだが。デスクットップ版で拡大して見ると、解像度の粗さが目立った。重くならない様に、画像の解像度を落としておいたのだが、あまり落とし過ぎると粗が目立つ様だ。サムネール表示をクリックすると、1枚1枚の各画像が画面一杯に拡大表示される。その際、元画像の原寸大で画面表示されるのではなく、ウィンドウ一杯に拡大表示されるのだ。ブラウザのウィンドウを大きく開いていると画像の粗さが目立ってしまう。ブラウザのウィンドウを小さめに開いておくと画像の粗さは目立たない。

 この「ウィンドウの大きさに合わせて画像が拡大表示される仕様」は、変更して欲しいものだ。Picasaでは、この様な問題は起こらない。iPhotoでWebアルバムを公開する際は、画像の解像度とサイズに注意した方が良い。使用するブラウザがFirefoxとSafariでは、画像の粗さが目立った。Firefoxでは特に目立つ。Chromeでは比較的目立たなかった。iPhotoフォトジャーナルでのWebアルバム公開は、ブラウザとの相性も注意した方が良さそうだ。

 iPadでiPhotoを使う最大のメリットは、一連の作業を全てiPadでこなせてしまう所にある。iPadの内蔵カメラで写真を撮影。iPad用のiPhotoを立ち上げて、画像修正・色調補正を、その場で行う。その後、フォトジャーナル機能で写真をレイアウトし、天気・位置情報・コメントを画面レイアウトに加え、ページ構成を工夫する。そして、iCloudにアップロードして全世界に公開する。友人や家族に、eメールでWebアルバムへのアクセスを促す事も出来る。iPhotoから直接、TwitterやFacebookで写真を共有する事も出来る。

 今や誰もが、写真を言葉の様に発信する。写真が、自己表現の重要な道具になった。iPhoneやiPadを持ち歩いて、気軽に撮影し、気軽に編集して、気軽に全世界へ発信出来る。 自分の写真を、インターネットを通じ全世界で共有すると、海外の誰かから写真へのコメントが返って来る事もある。複数の人々が自分の写真へコメントし合う事もある。Webアルバムの共有によって、世界中の風景を見る。撮影者が、その写真に込めた思いを感じ取るのだ。そして撮影者に対してコメントを返す。そのプロセスは、まるで俳句のようだ。季節を感じて俳句を詠み、句会で批評し合っているかのようだ。写真には撮影者の感性が滲み出る。世界中の季節感を味わう事も出来る。かの俳人・正岡子規が現在の状況を目の当たりにしたら、何と言うのだろうか。どんな一句を詠んでくれるのだろうか。

2012年4月6日金曜日

Googleそしてアップルが挑む “写真の再定義” に望む事。

 かつて私は、『言葉にできない』という楽曲で知られる大ベテランの男性ミュージシャンのグラフィック・デザイン制作を、約13年ほど担当した。レコード会社に在籍していた17年という期間に、数えきれないほど多くの、優れたミュージシャンやカメラマン、デザイナーとの出会いがあった。しかし、この男性ミュージシャンほど、お世話になった方はいない。味わい深いハイトーンな歌声は、スタッフの私でも心に染みるように感じた。安易な妥協は絶対しない人で、本当に厳しい仕事であった。仕事を通じて、クリエイターとしての姿勢や哲学を発見し、学ばせていただいた。その時期の「写真」や「印刷」というものは、現在とは、だいぶ違うものであった。それを振り返っておく事は、これからの写真を考える上でも役に立つと思う。

 デジタルカメラやインターネットが無かった頃。写真と言えば、オリジナルのカラーポジやプリント。真のオリジナルは世界に1枚しか存在しない。紛失したら大問題で、責任の取りようもない。自ずと写真は、慎重に取り扱わざるを得ず、特別な財産であり資産であった。低コストで配布する手段は、専ら印刷である。その際、色調を変更したり合成するのは印刷会社のオペレーターである。印刷に関して、カメラマンやデザイナーが自分で直接加工する手段はなかった。時間も費用もかかる。カメラマンやデザイナー等のスタッフが、印刷会社の人間との“見解の相違”をなくす事、つまりクリエイティヴなイメージを共有する為に、徹底的に議論する事は本当に重要だった。グラフィック・デザインは今よりもずっと、共同作業の色合いが強かったからだ。私も 前述のミュージシャンと、デザイン上の様々な事柄について、連日連夜の徹底的なミーティングを重ねたものである。

 そこに、コンピュータのMacと、レタッチソフトのPhotoshopが現れた。私が最初期に使用していたPhotoshopには「レイヤー機能」というものが存在しなかった。写真をトリミングするだけで数分、場合によっては十数分以上も処理の終了を待たされた。日本語のフォントも少なく、豊かな表現技法を駆使する為には、Macは少し物足りない道具だった。メモリも高価な代物で、増設するのは簡単ではない。昔のMacは、ハードディスクが160MB(GBではない)、メモリが4MB(GBではない)のスペックで、価格が180万円くらいしたと思う。それから、ほんの20年くらいの期間。技術開発は圧倒的なスピードで進行した。今では、圧倒的な機能とメモリとハードディスク容量を備えたコンピュータを、昔と比べれば驚愕の低価格で入手出来る。かつて印刷会社が使用していた高価な画像処理専用のワークステーションより、今現在のPhotoshopの方が遥かに多くの機能を有し、ずっと手軽に画像処理出来る。このレベルに辿り着くまでに、多数の人間が困難に立ち向かったのだ。ハードウェア技術者、プログラマー、デザイナー、カメラマン、販売担当者、マーケティング担当者、全ての先人たちに、心からお礼を申し上げ、頭を下げたい。

 今ではデジタルカメラとインターネットが普及し、写真の在り方は大きく変貌した。 携帯端末でデジタル画像を撮影。タブレット端末で画像処理を施しWebアルバムを編集。インターネットとSNSで全世界の人々に自分の写真を公開出来る。高機能の一眼レフカメラとフォトレタッチソフトがあれば、とてつもなく美しい画像を、昔よりも遥かに効率よく生み出す事も可能だ。写真を全世界に向けて発信し共有する事によって、様々な地域・国家・民族の人々と意見交換し、新たなアイデアが醸成される事もあるだろう。写真が言葉の様に活発に発信され、コミュニケーションの重要な道具となっている。写真は一部の人の特別な道具ではなく、多くの人が手軽に使えるものとなった。写真は全世界で共有する財産となったのだ。この様な時代には、写真の権利にも大きな変化が起きる事になる。これまでの著作権の考え方を変えなければならないのかもしれない。

 Googleもアップルも、やり方は違うにせよ、携帯端末からタブレット端末、そしてWebアルバムまでトータルの流れをサービスとして提供出来る。両社それぞれで写真を再定義し再発明する事を完遂しようとしている。Googleとアップルの関係は対決を軸として語られる事が多い様に思う。しかし私は、アップルのiPhoneとiPadを使い、Googleで画像検索してGoogle+で写真を発信し、GoogleのPicasaでWebアルバムを共有している。Googleもアップルも、独自性を保ちながらも状況によって臨機応変に協働し、より優れたサービスを提供する事も可能なのではないか。対立するばかりではなく協働する部分を、もう一度見つめ直すべきではないか。

 「写真」や「印刷」「Web」は、僅か20年余りで、ここまで急速に進化した。それは高い理想と目標を掲げ、猛烈な情熱を絶やさなかった先人たちのおかげであろう。私は、自分自身で画像処理や色調補正を施したいと強く願っていた。コンピュータのスペックが上がり低価格となる事を強く願っていた。現在のような環境になり大変嬉しく思っている。 とにかく20年前は、全く別な世界であった。これからも進化を続けて行くには、先人たちがそうであったように、次の世代の人々も高い理想と目標を掲げる事が必要であろう。Googleやアップルも、目先の利益や対立に捕らわれる事なく、数十年先、百年先を見据えて、今現在のビジネスを展開して欲しい。

 次回は、アップルのアプリ「iPhoto」について考えてみたい。

2012年3月29日木曜日

新iPad Wi-Fi, 発熱, 充電 etc. 不具合検証の報告。

 新iPadが手元に届いてから、およそ2週間。新iPad(第3世代)を購入するか検討している方の為に、私個人の使用感をレポートしたい。御参考にしていただけたら幸いである。最近、話題となっているWi-Fi、発熱等の不具合についてのレポートである。<新iPad(第3世代)Wi-Fiモデル 32GB 使用>

Wi-Fi強度問題
 新iPadは、Wi-Fi接続感度が旧モデルより落ちるという報告があるようだ。私は自宅でAir Mac Expressにより無線LAN接続している。今の所、全く問題はない。元々初代iPadの時から、iPhoneに比べれば接続感度が弱かった。Air Mac Expressから数メートル離れた別の部屋にいると感度が落ちたし、電子レンジの使用中にWi-Fi接続出来なくなる。iPhoneでは、この様な事はなかった。しかし新iPadが、旧iPadと比べて著しく接続感度が落ちるような事はない。逆に言えば、旧iPadと同じ様に接続感度が弱い。もしWi-Fi接続感度が酷く落ちているならば、やはり不良品かもしれない。私はiMacを使用しているが、初期不良で交換してもらった経験がある。納品された当日、起動させても液晶ディスプレイが真っ暗のままになった。ディスプレイが点灯しないだけで、目を凝らせば、真っ暗な中にうっすらとアイコンが見える。ハンダが溶けたような臭いがして、本体が異常に熱い。火事を心配するくらいであった。新しく届いたiMacの動作は全く問題がない。好ましい事ではないが、実際、初期不良は発生する。初期不良品の交換に際して、アップルの対応は丁寧だった。

発熱問題
 新iPadは、高負荷の動作時に、旧iPadよりも発熱するという報告があるようだ。確かに、新iPadは左下部分が温かくなる。旧iPadよりも温かく感じるかもしれない。肌寒い時に気持ち良いと思うくらいだ。しかし暫く置けば、すぐ冷たくなる。私は、高負荷のかかる3DゲームアプリやHD動画を長時間使う訳ではない。それらを長時間動かせば、さらに発熱するのかもしれない。しかし余りにも熱くなる様であれば、前述した様に初期不良かもしれない。早めにサポートへ連絡した方が良いと思う。

重量増加問題
 新iPadは、iPad2と比べて51g重くなった。手に取って比べてみれば、明らかに新iPadの方が重い。しかし私自身は、さほど気にならない程度の重量増加である。比べてしまえば明らかに重いが、新iPadだけを使い続けていたら、重さを感じなくなるのでは。重さの感じ方は、ユーザーによって様々な受け止め方があるだろう。微妙な重さが我慢出来ない方もおられるかもしれない。是非店頭で、御自分の手で試していただきたい。重さが気にならない方も多いのでは、と思う。

充電時間問題
 新iPadは、旧iPadと比べて明らかに充電時間を長く必要とする。 バッテリー容量がiPad2の1.7倍なので致し方ない事か…。就寝中に充電をしておけば、朝には何の問題もなく使用出来る。しかし、「充電アルゴリズムを直ちに修正する必要がある」という報告も出ている様だ。新iPadのACチャージャは、iOSが「充電済み」と表示したあとも1時間程度、10ワットの充電を継続する。iOSが“充電済み”と表示した時点では、充電は実際には90%しか完了しておらず、この時点で充電を止めると、バッテリ駆動時間はフル充電時と比べて1.2時間短くなると言うのだ。アップルは「新iPadは、iOSが“充電済み”と表示した時点までの充電で、バッテリ駆動時間として記載している10時間の駆動が可能だ」と説明している。この問題については、もう少し追いかけ続ける必要があるようだ。

2012年3月25日日曜日

「元素図鑑」を書籍、iPadアプリ、iPhoneアプリ 3種で楽しむ。

書籍, iPadアプリ, iPhoneアプリの画面サイズを比較

 今回は、コンテンツ「元素図鑑」を、書籍版iPadアプリ版iPhoneアプリ版 それぞれで分析してみたい。

 「元素図鑑」は、元素周期表を様々な角度から楽しませてくれるコンテンツである。「元素」とは、この世界の物質を構成する基本単位である。「元素周期表」は、性質の似た元素同士が並ぶように、決められた規則に従って配列した表である。普通なら無味乾燥になりがちな化学の周期表を、軽妙な語り口と豊富な写真の収録により、独自のヴィジュアル・エンターテインメントとして魅せる。収録された写真や文章は3種共通。同じ内容を書籍・iPad・iPhoneの3つの形態で魅せてくれる。


書籍(出版:創元社 ¥3,990<2012年3月28日現在>)
 最初に企画されたのは、この書籍版である。装丁も豪華。ページ数もボリュームがあり、重厚感が溢れている。書斎の本棚に燦然と輝く存在感。まるで、この本自体が美術品。書籍のサイズも大きく、迫力あるデザイン構成になっている。1つの元素を見開き2ページで、美しく印刷された写真群と共に紹介する。汚れや傷を付けずに、大切に保管しておきたくなるヴィジュアル・アート・ブック。優れた書籍は、所有する事そのものがワクワクする体験である。コレクション魂を大いに刺激する。欠点は、重くて機動性に欠ける事。工場での印刷や運送のコストが掛かるので、価格が4千円近くになってしまう事。


iPadアプリ(開発: Element Collection, Inc ¥1,200<2012.3.28現在>)
 「元素図鑑」は、iPadアプリでこそ最も楽しむ事が出来る。大きな画面サイズは、書籍版の迫力に引けを取らない。指先一つで、美しい写真群を回転させ、組み込まれた映像を楽しむ事が出来る。書籍版にはない、インタラクティブなヴィジュアル・アートを満喫。しかも、書籍版の重量を気にする必要はない。この世界観を何度味わっても、ページ自体に汚れも傷も付かない。工場での印刷や運送のコストが掛からないので、価格を1,200円に押さえる事が出来る。新iPad(第3世代)でも動くが、高解像度ディスプレイに完全対応した画質になっていない。故に 新iPad(第3世代)で、このアプリを動かすと、画像が微妙にボケけて見える。この様なアプリこそ、高解像度ディスプレイを活かしきって欲しいものだ。


iPhoneアプリ(開発: Element Collection, Inc ¥850<2012.3.28現在>)
 iPhoneアプリは、画面サイズが圧倒的に小さい。携帯性に優れているが、画面サイズが余りに小さい為に、ページ展開の構成が大幅に変更されている。(Webサイトでは、iPadでも動作すると表記されている。しかし、新iPadでは動かない。2012年3月28日現在。)ジャイロスコープを駆使したインタラクティブ性は楽しめるが、書籍版の迫力は望むべくもない。iPhoneアプリの方が低価格である。
 しかし、iPadアプリの方が、圧倒的な世界観を味わう事が出来る。この状況を体験すると、なぜスティーブ・ジョブズがiPadを生み出したのか納得出来る。iPadの画面サイズに大きな意味があるのだ。iPadの画面サイズでなければ表現出来ない世界観がある。iPhoneは、携帯性の高いリアルタイム情報収集端末である。iPadは、デザイナーやフォトグラファー、アプリ・クリエイターが創り出す芸術的世界観まで表現出来る端末である。iPadの様に大きな画面サイズであれば、レイアウト、色彩、ディティールの表現に意味を持たせる事が出来る。これまでグラフィック・デザインやエディトリアル・デザイン、映画制作、絵画等で培われた表現手法を応用出来る。
 アプリ・クリエイターが、iPadを通じてユーザーに投げかけるのは、単なる情報データではない。小説や映画、絵画等と同様に、独自のメッセージを内包した芸術作品である。


 iPadが、どんなに普及しても、紙に印刷された書籍が絶滅することはないだろう。書籍・iPad・iPhoneには、それぞれ特性があり、それぞれの存在意義がある。「元素図鑑」の様に同じコンテンツを3種で楽しめると、それぞれの特性が非常に分かり易い。書籍版・iPad版・iPhone版、それぞれに独自の素晴らしさがある。iPadが目指している方向は、紙に印刷された書籍の絶滅ではない。全く新しい、メディア体験の提供なのである。それは、書籍とは全く別のメディア体験であり、書籍というメディアの延長線上にあるものではない。

2012年3月24日土曜日

スティーブ・ジョブズが教えてくれる、行動経済学の重要ポイント2点。


 スティーブ・ジョブズの名言で、最も有名なものはコレだろう。「ハングリーであれ、愚かであれ」。これは、「貪欲になれ、利口ぶるな」という意味ではない。「“現状維持バイアス”に捕らわれるな、“同調バイアス”に捕らわれるな」という意味だろう、と 私は個人的に解釈している。“現状維持バイアス”と“同調バイアス”とは、行動経済学や認知科学で使われる用語である。新iPad(第3世代)は、発売週末の売上台数が300万台。初代iPadが300万台売れるには、80日かかった。iPad2と比べて、3倍の勢いで 新iPadが売れている、とのニュースを読み、「ハングリーであれ、愚かであれ」というジョブズの言葉を、再び思い出した。



現状維持バイアスとは?

 
 強力な動機がないと、人間は現状を変えない。物事が巧く回っていると感じていたら、新しい方法を試そうとは思わないのだ。利益と損失が同額であれば、利益から得る快楽より損失による苦痛の方を大きく感じる。故に人間は、リスクを回避する事を優先しがちである。この人間心理を損失回避性という。損失回避性が働いて、人間は新しい事に挑戦しにくい状態となる。新しい考え方も、受け入れ難い。現状で甘んじる傾向が強くなる。この偏向を“現状維持バイアス”という。

 ジョブズのいう「ハングリーであれ」とは、貪欲に利益を追求しろ、コスト削減を徹底しろ、損失を最小限に食い止めろ、といった利益至上主義とは対極にある世界観であろう。「ハングリーであれ」という言葉には、現状に甘んじる事なく、損失のリスクを覚悟の上で、新しい事に挑戦するべきであるという、彼の哲学が感じられる。利益を出す事は、もちろん重要だが、それだけではダメ。少しでも問題があるなら、諦めずに 世界をより良い方向に変える。その対価として利益を得ることが、ジョブズにとっては重要だった。

 iPadが発売されるまで、タブレット端末の市場を確立した者は皆無だった。初代iPadが発売される時。「こんな物は売れない」と、iPadを揶揄した者は、世界中にいたと思う。しかし、iPadは世界中で受け入れられ、世界を変え始めた。今ではアップル以外の、多数の企業がタブレット端末を発売している。

同調バイアスとは? 


 自分以外に、大勢の人間が周りにいたとする。 人間は、多数派の意見に、とりあえず合わせようとする傾向がある。物事の本質に興味を見出す訳でもなく、その場の「空気」に支配される。何となく多数派の意向に偏ってしまう。これを“集団同調性バイアス”という。協調性という人間の性向は、人間が社会という仕組みを維持する為に重要な役割を果たして来た。しかし、時として、多様性のある状況から、新しい物事が生み出される。周りと違う異端児は、世界をより良い方向に変える為に必要である。周りと違う意見・姿勢を貫く事は、非常に難しい。かなりの精神的エネルギーを必要とする。異端児は、批判に晒される事も多い。周りに理解されず、劣った人間であると決めつけられる事もある。

 ジョブズのいう「愚かであれ」とは、利口ぶらず、愚直に実直に、コツコツ自分の道を歩むという温もりのある視点とは対極にある世界観であろう。「愚かであれ」という言葉には、多数派の意見が間違っていたら、たとえ自分だけが とり残されても、周りの価値観と徹底的に戦い抜くという過激な姿勢が感じられる。自分の価値観を信じて、本気で世界を変える、という精神の戦闘モードが全開である。

 アップル以外の企業には、タブレット端末市場で戦う信念が感じられない。誠に残念だ。周りが発売するから、売れているみたいだから、何となく発売してみた…という惰性が感じられる。アップル以外の企業にも、独特のサービス、独特の端末を組み合わせた、世界を変える体験を味あわせて欲しい。多様性は世界にとって必要だ。多様な商品は、消費者の選択肢を増やし、新たな市場を生む。



 スティーブ・ジョブズは、言動が派手で、多くの批判にも晒されて来た。しかし、一貫して独特の世界観を魅せてくれた。大成功も大失敗も含めて、言葉と行動の整合性が保たれていたと思う。大失敗を踏まえた言葉は、説得力と強い信念を感じた。こんな人間的な魅力の溢れる経営者が、もう一度現れて欲しい。iPhone4Sでも、新iPadでも、ジョブズの人間的魅力を思い起こした。

2012年3月23日金曜日

新iPadの「重さ」と「厚み」が気にならない3つの理由。

 新iPadは、iPad2より51g重く、0.6mm厚い。51gとは、どれくらいの重さなのか? 我が家の晩御飯に使われる卵の重さを計ってみた。Mサイズの小さな卵1個で53gである。新iPadは、卵1個分 重くなった訳だ。新iPadを重いと感じるか。それは、ユーザーによって意見が分かれるだろう。新iPadの重さを残念に感じているユーザーの気持ちも分かる。しかし私自身は、新iPadの「重さ」と「厚み」は気にならない。実際に手に取って体験してみた実感である。新iPadには、卵1個分、重くなったとしても、手に取りたい理由もある。私にとって卵1個分の重さよりも、ずっと重要な事である。

1. 高解像度ディスプレイは、圧倒的に美しい。
 新iPadの高解像度Retinaディスプレイは、目が疲れない。これに慣れてしまうと、旧iPadのディスプレイは、目が疲れる。細かい文字がボンヤリして非常に見づらく感じてしまうのだ。高解像度に対応したアプリは、「iPhoto」「iMovie」「GarageBand」その他 がある。しかし、まだまだ数は少ない。「細川家の名宝」や「お江戸タイムトラベル」など、芸術品を味わい尽くす分野のiPadアプリで、高解像度を活かしきる作品が登場して欲しい。高解像度ディスプレイを活かしきるには、アプリ内の画像を全て高解像度のファイルに切り換える必要がある。しかし、これらの作業は、アプリ開発者及びクリエイターにとって面倒な作業ではない。新しい世界を切り拓く冒険であり、鳥肌が立つ様な達成感への第一歩なのである。

2. 高度な処理を必要とするiPadアプリが、これから登場する。
 例えば「iPhoto」は、初代iPadやiPhone3GSでは動かない。「iMovie」の予告編作成機能は、初代iPadやiPhone3GSでは使えない。今後は、より高度な処理をアプリで行うことになる。それに伴い、旧iPadでは動かないアプリ、動作の重いアプリが出て来るだろう。特に初代iPadのユーザーで、iPad2を所有していない方は、快適な動作環境を手に入れる絶好の機会であろう。デュアルコアA5X、クアッドコアGPUを使いこなすアプリが、これから登場するだろう。

3. アップルの革新性が失われていない事への共感。
 新iPadは、高解像度ディスプレイと クアッドコアGPUを搭載しながら、10時間動作する。iPad2のバッテリーは、25Wh。新iPadのバッテリーは、42.5Whである。つまり、新iPadのバッテリー容量は、iPad2の1.7倍もある。当然バッテリーの形状サイズも大きくなるはずだ。しかしアップルは、卵1個分の重量増加で納める事に成功した。この設計力に拍手を送りたい。アップルは、燃料電池を開発中だという話がある。この燃料電池は、1度充電すると1ヶ月間は充電が不要だと言うのだ。酸素など外部から取り込んだ物質を水素などと化学反応させることで継続的に電力を発生させる技術。この話が本当なのかは、まだ分からない。しかし、いつの日か、その答えが分かるだろう。今回アップルが魅せた設計力は、将来の燃料電池に期待を繋ぐものだ。新iPadを体験したおかげで、将来の技術開発に期待が繋がった。

 スティーブ・ジョブズが、この世を去って以来、「アップルの革新性は失われた…」という意見を目にする事がある。 新しいiPhoneにも、新しいiPadにも驚きがなくなった、という意見だ。しかし ジョブズ最大の発明は、iPhoneでもiPadでもなく「アップル」という企業そのものである。ジョブズは 自分がこの世を去るにあたり、アップルという企業が「アップルらしさ」を失わない為に様々な仕掛けを用意した筈である。とてつもなく細かい事柄に拘る人物なのだから。それが成功するかどうか、私は今しばらく見守りたい。

 次回は、スティーブ・ジョブズの名言について考えたいと思う。

2012年3月19日月曜日

iPadアプリ「細川家の名宝」。古の美を味わう電子絵巻。

Hosokawa Family
Eisei Bunko Collection
開発: CROSS BORDERS Inc.
¥600(2012.3.19現在/期間限定価格)
カテゴリ: ブック

 このアプリは、長さ20mの絵巻物(室町時代の物)を、原寸大で途切れる事なく閲覧する事が出来る。iPadの画面をスクロールすると、次々に絵巻の続きが現れるのだ。画像を拡大して細部を堪能する事も出来る。ユーザーは、アプリのペイント機能で禅画を模写し、Twitterへ投稿出来る。絵巻物に関する感想・新発見・質問をTwitterに画像付きで投稿し共有出来る。もちろん作品解説も楽しい。このアプリには英語版とフランス語版があり、海外のユーザーも楽しめる。


 もし印刷裁断された書籍で、この絵巻物を見るとしたら。長さ20mの絵巻物の連続性を体感出来ない。紙のページを捲るたびに絵は途切れてしまう。もし美術館で、この絵巻物を見るとしたら。開かれている一部分しか見る事が出来ない。手元で細部を確認する事も出来ない。それでも、美術館で実物のを絵巻物を見たいと思う。本物の微妙な色合い、画家の息づかいとメッセージは、実物の絵からこそ伝わってくる。実物の絵画でなければ体感出来ないエネルギーもある。

 このアプリがあれば、“美術館に行く必要がない”という訳ではない。美術館で、実物の絵巻物を最大限に味わう為に、このアプリがあるのだ。iPadによって、様々な角度から情報を吸収し、情報を生産発信し、情報を共有する。実物を前にして、それらを確かめる。それらによって、この絵巻物を隅々まで味わい尽くすのである。

 iPadという新しいデバイスは、作られた情報を 一方的に受け取るだけの道具ではない。情報を狩り、情報を生産し、情報を共有する為の道具だ。そして、この最新の電子機器が、古の絵巻物という閲覧フォーマットを現代に蘇らせた。絵巻物という形式は、古来より日本に存在するが、いつの間にか、忘れ去られたようだ。しかしiPadという最新デバイスには、この古の絵巻物形式が、殊の外マッチするのである。新しいものが古いものを蘇らせるのだ。

 このアプリは、新iPad(第3世代)で起動させると、不具合が発生するようだ。新iPadの解像度との整合性による問題だと推測するのだが。このようなアプリこそ、新iPadの高解像度ディスプレイで堪能したいものだ。早急なアップデートが望まれる。

(2012年3月23日現在 アップデートされました。新iPad<第3世代>に対応済みです。)

2012年3月16日金曜日

新iPadの、メッセージ無料刻印サービスを試した。


 新iPadが、本日 手元に届いた。事前予約しておいたのだが、無事 発売日である3月16日に到着。納品の遅れはなく、初期不良も発生していない。ディスプレイの傷等も問題はなかった。

 パッケージは、シンプルで、余分な要素を一切入れていない。ここまで潔いと、とっても気持ちが良い。アップルのデザイン美学は健在だ。パッケージにまで、拘りが貫かれている。アップルにとっては、ユーザーがパッケージを開ける瞬間も、iPad体験の一部なのである。


新iPadの背面上部
 新iPadの予約時に、メッセージの刻印サービスを申し込んだ。無料で受け付けている。画面上で テキストを入力し、 誤字脱字がないかを確認。後は、iPad本体が届くまで待つしかない。私は、自分の名前を刻印することにした。一体、どんな仕上がりになるのだろうか。申し込んだ後に、一抹の不安がよぎった。

 届いてみれば、仕上がりは上々。世界で1台だけのiPadが完成である。メッセージ刻印サービスを申し込んでも、納品が遅れる事はなく、発売日に手元に届いた。こういったサービスを無料で実施し、きちんと発売日に届けてくれる所が、アップルの心憎い所である。

 難を言えば、本体背面に若干ヨゴレがあり、 小さなゴミも付着していた。メッセージ刻印をする際に、工場で付いてしまったのだろうか。細かい所ではあるが、このような範囲まで、完璧にフィニィッシュして欲しいものである。ウェットティッシュで拭いたら、キレイに落とす事が出来た。

 画面の解像度は、ウワサ通りの圧倒的な美しさだ。しかし、新iPadでは、動作に不具合が発生するアプリもあるようだ。 各アプリの、早急なアップデートが望まれる。今しばらく新iPadを動かしながら、様々なポイントをチェックしたいと思う。

2012年3月15日木曜日

iPadアプリ「元素図鑑」。これはもう電子書籍ではない。

The Elements in Japanese
開発: Element Collection, Inc
¥1,200(2012.3.15現在) カテゴリ: ブック

 このアプリは、「元素周期表」というものを、iPadならではの方法で魅せてくれる。iPad独自の機能を、意味ある場面で効果的に結合させている。これぞ、iPadの基本的世界観を見事に体現したアプリである。

 「元素」とは、この世界の物質を構成する基本単位である。「元素周期表」は、性質の似た元素同士が並ぶように、決められた規則に従って配列した表なのだ。左から右へ、そして上から下へ行くほど 原子番号の大きな元素が並ぶ。原子番号とは「周期表」における順番・位置を表わしたものである。故に この表では 左右の並びにも、上下の並びにも意味がある。その並び方に元素の性質が表れているからだ。

 iPadというデバイスの場合、紙に印刷された書籍の様に 左右にページを捲るというフォーマットに限定されない。 空間感覚として、上下左右、自由自在に画面進行を設定出来る。元素周期表も、上下左右の空間感覚に意味がある。iPadと元素周期表の空間感覚は見事にマッチするのだ。 わざわざ、紙のページを捲るような画面デザインを創る必要はない。このアプリでは、周期表上の元素をクリックすると、直接 各元素の個別ページに飛べるし、そこから左右の近似性ある元素にページ移動する事も出来る。


 iPadの凄さは、紙に印刷された書籍の電子化という携帯性にあるのではない。ページを捲るという感覚から、人間を解き放つところにある。“電子書籍”という言葉は、既存の出版物を電子データ化してデバイスに取り込み、電車内や外出先で自由自在に読むという利便性や携帯性の魅力を纏っている。しかし、iPadアプリは、もはや電子書籍という枠を超えた世界に到達している。既存書籍の形式に捕らわれず、全く新しい情報伝達フォーマットを生み出せるのだ。指先で物体の側面を自在に動かし、静止画も動画もコンテンツに溶け込んでいる。必要に応じてネットワークにアクセスし、適宜更新された情報も入手出来る。視点は、画面内を自在に飛翔する。この様な 豪快なアプリを 電車の中でゆっくり味わう事は難しいだろう。周りの人々の視線は、iPadのディスプレイに釘付けになる。このようなアプリは、静かな場所に腰を据えて、ゆったりと味わいたい。

 「元素図鑑」は、iPad用アプリとiPhone用アプリの2種類がある。1つのアプリで両方に対応するのがユニバーサルアプリなので、「元素図鑑」はユニバーサルアプリではない。iPhone版の「元素図鑑」に関しては、別途 取り上げたいと思う。

2012年3月14日水曜日

iPadは、大きくなったiPhoneではない。

 アップルのApp Storeからアプリを入手する場合、その種類は 大きく3つに分類出来る。iPhone用のアプリ、iPad用のアプリ、ユニバーサルアプリの3種類である。ユニバーサルアプリとは、「iPhone」「iPad」「iPod Touch 」の全てに対応しているアプリである。ユニバーサルアプリは、それぞれのデバイスに対応したユーザーインターフェイスを自動的に表示する様に設定されている。つまりiPhoneの画面でも、iPadの大画面でも操作し易い様に調整されている。

 ここでは iPadアプリを さらに分類した上で、「iPadらしいアプリ」とは何かについて整理したいと思う。

有料・無料による分類
 アプリには有料で配信されるものと、無料で配信されるものがある。 アプリ市場全体の80%〜90%を アップルのApp Storeが占めている。その売上高は、Googleが運営している配信サービス Android Marketの約6倍である。内訳は、スマートフォン用でAndroid Marketの約4倍、タブレット用でAndroid Marketの約2倍(2012.1.13現在 産経ニュース)。アプリ配信のシステムが統合・整備されている事と、良質であれば有料アプリにも対価を支払うユーザーの存在は、iPadの強みである。アプリ市場がビジネスとして活性化するからこそ、良質なアプリも創り出されるのだ。先行するiPhoneアプリ程ではないが、iPadアプリ市場は、独自に成立している。

カテゴリによる分類
 アップルのApp Storeでは、iPhoneアプリとiPadアプリが、別々に提示される。iPadだけで動くアプリも存在する。App Storeでは、内容によってビジネス・教育・ゲーム・SNS等のジャンルに分類されている。この分類により、ユーザーは自分の求めるアプリへの到達を試みる。また「防災関連アプリ」等、特定のテーマでアプリの特集を編成している。20万以上という規模のiPadアプリが既に登録されている。

ユーザーインターフェイスによる分類
 iPadアプリは、ツールバーやタブバーといったインターフェイス設計の種類でも分類出来る。操作画面の基本形が数種類に定められる事により、様々なアプリで、操作方法が共通化される。その結果、ユーザーは新しいアプリに出会っても、直感的に操作方法を理解する事が出来る。これらインターフェイス設計の指針は、iPhoneとは別に「iPad Human Interface Guidelines」という文書にまとめられており、iPadアプリ開発者はこの指針に則して統一性を守る事を推奨される。

 iPadは、単に大きくなったiPhoneではない。まず、iPad独自のユーザーインターフェイス指針に則している必要がある。最も重要なのは、iPad独自の高解像度・大画面 をベースとして、デバイスの角度を高精度で計測するジャイロスコープ、GPS、カメラ、瞬間起動 等、各機能を意味ある場面で効果的に結合させて生み出す一連の世界観。それがiPadである。故に、ユニバーサルアプリは、iPadを最大限に活かしているとは言い難い。世界観は、iPadの特徴を活かしきる様に設計されたアプリでなければ体感出来ない。それは、特定カテゴリのアプリに限定されたものではなく、全カテゴリのアプリにとって共通な基本要素だ。故に「iPadらしいアプリ」とは、特定のカテゴリや分野(例えば電子書籍など)に象徴されるものではなく、各カテゴリに於いて この基本的世界観を見事に体現したアプリであると言える。

 今後は、個別のアプリの分析に入って行きたい。まず最初のアプリとして「元素図鑑」を取り上げたいと思う。

2012年3月11日日曜日

ジョブズが iPadの画面サイズに拘る理由。

画面サイズの比較
 スティーブ・ジョブズは、デバイスの画面サイズに明確な指針を持っていた。2011年10月18日 アップル決算発表の際、以下の様な主旨の発言をした。他社から多数登場した、 画面サイズ 7インチのタブレットを意識しての発言だ。

    • 画面サイズが7インチのiPadは発売しない。
    • スマートフォン・アプリとタブレット・アプリは別の物である。
    • タブレット・アプリには9.7インチ以上の画面サイズが必要である。
    • 画面サイズ 7インチは、スマートフォンとして大きすぎる。

         上記の発言内容を分析すると、アップルは、デバイス単体で商品戦略を練り上げていない事が分かる。デバイスとそれに対応したアプリを一体化して考えているのだ。アップルは、iPhone用のアプリとiPad用のアプリを明確に区別している。

         iPhoneは片手での操作を想定し、iPadは両手での操作を基本としている。iPhoneは移動中でも手軽に操作出来る携帯情報端末である。街を歩きながら、電車内で吊り革につかまりながら、片手で頻繁に使用可能だ。ハードもソフトも片手で操作ボタンを駆使出来る様に設計されている。iPadは 大きな画面サイズによって、迫力ある画面構成を多様に表現する。静的なテキスト・画像だけではなく、動的な映像、アニメーション、サウンドを効果的に組み合わせる事が可能だ。iPadは 基本的に ある場所での滞留状態で操作を行う。持ち運びは可能だが、ある場所に留まっての操作により適している。リビングやベッドルーム、オフィスのデスクで、あるいはカフェテラスなどに留まって使用するイメージだ。iPadは片手では操作出来ない。アプリのコンセプトも、画面デザインも、それを踏まえた上で構築しなければならない。

         アップルは かなり初期の段階から、iPhoneでは対応出来ない、個性的アプリのイメージを発想したのだろう。それらを実現させる為には、大画面が必要だ。それ故に、iPadというデバイスを開発した。アップル以外の陣営は、スマートフォン・アプリとタブレット・アプリの区別が明確化されている状況が伝わって来ない。持ち運びに便利なタブレット… という形状的理由を最優先して7インチ・タブレットを開発しているのだろうか。

         それでは、iPadらしいアプリとは、一体どんなものなのか? 今後は、それを考察して行きたいと思う。

        2012年3月10日土曜日

        新iPadが 期待外れではない理由。

         第3世代となる 新型iPadが発表された。形状デザインは、従来のiPad2と殆ど変わらない。斬新な形状デザインやミニiPadの登場、驚愕の新機能を期待していた消費者にとっては、肩透かしだったかもしれない。しかし私は、画面サイズを変更しなかったことにこそ、アップルの凄みを感じるのである。

          形状デザインや画面サイズを変更しない理由には、コストの問題もあるだろう。形状デザインをガラリと変更すれば、工場の生産ラインも一気に変更しなければならない。それはコストの増大に直結する。しかし、画面サイズを変更しない事に大きなメリットがある。アプリの開発者に過剰な負担をかけなくてすむのだ。

         もしiPadの画面サイズを変更されたら、世界中のアプリ開発者はどうなるのか。新しい画面サイズに合わせて各々のアプリの画面デザインを変更しなければならない。アプリの操作画面のボタン配置などは、現状の画面サイズに最適化させて、レイアウトしているからだ。もし画面サイズの変更が大幅でなくても、レイアウト調整は必要になる。既存の全アプリで、それらの作業を実施する事は、大変な労力を必要とする。アプリのアップデートにも、相当な時間を必要とするだろう。それは、アプリのユーザーにとっても不幸な事だ。

         アップルがデバイスだけを扱う企業であったら、躊躇なく形状デザインを変更するかもしれない。そうしなければ新製品の存在意義が薄れるだろう。しかしアップルは、オペレーティング・システムも、デバイスも、開発ツールもアプリの配信システムもトータルで扱う企業である。アップルが売っているのは、これらの要素全体が生み出す「体験」なので、 全体を俯瞰して戦略を立てる事が出来る。

         アップルがiPadの画面サイズを変更しないことに、アプリ開発者への独特の配慮が感じられる。アップルとアプリ開発者の協働によって、新しい体験価値を創り出そうとする強い意志を感じるのである。今回の新型iPadの発表に合わせて、オペレーティング・システムのiOS、そしてアプリ開発ツールのXCODEもヴァージョン・アップされた。デバイスの外面的な形状デザインを変更しなくても、操作性やアプリ開発の効率化という奥深い部分で改訂を進めている。

         デバイスの形状デザイン変化は、消費者に伝わり易い。 外見を見た瞬間に、全てが分かる。しかし OSや開発ツールの変化は、消費者に伝わりにくい。外見だけでは実体が分からず、使ってみないと実感がわかない。今回、ディスプレイの解像度が著しく向上した事は、とてつもない効果をアプリにもたらすだろう。でも、それが直ちに目に見える形で現れる訳ではない。アプリ開発者が、改訂版のOSや開発ツールで新しいアプリを創り出すのを待たなければならない。それには、今しばらく時間を必要とする。

          次回は、そもそもiPadが、なぜ現在の画面サイズになったのかを考察してみたいと思う。

        2012年3月7日水曜日

        スティーブ・ジョブズは「芸術家」である。

         スティーブ・ジョブズは、経営者であると同時に芸術家である。デザインこそアップルの強力な武器である事は 誰もが認めるところだろう。その美しさは、もはや工業デザインを超えて、美術品のようだ。ジョブズは、会社員・経営者でありながら、同時に芸術家になれることを我々に教えてくれた。企業が特別な存在になる為には、つまり競合他社と一線を画した強烈な魅力を放つ為には、芸術的な感性が必要であることを示した。重要なのは、経営感覚と芸術的感性のバランスである。

         ジョブズの仕事ぶりは、映画監督の行動に重なり合う部分が多い。

         映画監督は、自分で物語やセリフを創る訳ではない。それを創るのは小説家や脚本家の仕事である。映画監督は、自分で撮影する訳ではない。撮影するのはカメラマンである。自分で演技する訳でもない。演技するのは役者である。映画監督の仕事は、個別の実作業をすることではない。目指すべきゴールを明確に伝えて、個別に細かな指示を出し、関係スタッフを一つの方向にまとめて、個々のスタッフの力を最大限に引き出すのが仕事である。優れた映画監督の作品は、ヴィジョンやメッセージがハッキリ打ち出されている。だから、黒澤明が監督した映画は「黒澤明の作品」である。数百人単位のスタッフが動いても、映画監督の個性とリーダーシップが際立って感じられる。それが演出という作業である。映画監督が演出しなければ、スタッフは統一した見解を持つ事が出来ず、一貫性のない曖昧模糊とした作品となってしまう。そうなれば映画が商業的に成功することは難しい。

         ジョブズは、自分でアプリケーションのプログラムを組む訳ではない。自分で工業デザインをする訳でもない。自分でサプライチェーンを構築する訳でもないし、品質管理もしない。彼の仕事は、目指すべきゴールを明確に伝えて、個別に細かな指示を出すこと。そして 関係スタッフを一つの方向にまとめ、個々のスタッフの力を最大限に引き出す事である。結果、アップルから生み出された様々な製品には、ジョブズのヴィジョンやメッセージがハッキリ打ち出されている。多くの消費者を虜にする個性と美学がある。その姿はまるで、歴史に名を残す映画監督(演出家)のようだ。

         ジョブズは、経営感覚と芸術的感性のバランスが秀逸だったと思う。経営感覚を「分析」、芸術的感性を「直感」と短く表現するならば、その間を繋ぐのは「技術」である。利益追求のため計算的でありすぎると、直感の価値を見失う事がある。感性に頼りすぎて、戦略構築や計量的・分析的な裏付けを怠れば、大きな赤字を生む可能性が高まる。しかし、技術的素養、最新の技術開発動向の把握がなければ、そもそも直感も分析も活きたものにはならないだろう。ここで言う技術的素養とは、プログラマーなどの技術者が実際の開発に必要とする、現場での細かな技の数々の事ではない。プログラマーなどの技術者と コミュニケーションするために必要な準備が整っているか、という事である。映画監督が撮影カメラの操作方法を細かく知っている必要はない。実際に操作するのはカメラマンだからだ。しかし、カメラマンに指示する為には、カメラアングル、カメラワーク、露出や色彩の効果などの関連知識の準備は必要である。ジョブズは「分析」「直感」「技術」のバランスを絶妙に維持していた。

         大抵の映画制作スタッフは、優秀な映画監督(演出家)と仕事をしたいと熱望しているだろう。大規模な映画は、数百人単位でスタッフが動かなければ作り上げる事は出来ない。全てを一人で創り上げる事は出来ないのだ。各スタッフの力が効果的に一体化した時、個々のスタッフの仕事も、それぞれ輝きを放つものになる。映画制作スタッフは、明確な理念を打ち出す映画監督と組みたがっている。

         iPadやiPhoneのようなデバイスも、多数のスタッフが開発から販売まで関わることになる。全てを一人で創り上げる事は出来ない。個々の外部クリエイターのアプリ開発も、ハードのスペックやiTunesのような配信と利益分配システムがあってこそ成り立つ。各スタッフの力が効果的に一体化した時、個々のスタッフの仕事も、それぞれ輝きを放つものになる。その為には、明確な理念を掲げ、全身全霊を懸けてそれを形にしようとする演出家・経営者が必要なのである。しかも技術動向の先を読まなければならない。ジョブズは ブレることなく、それを実行した。理念もあり、芸術を愛し、技術的素養もあった(技術者ではないが)。だからこそ 世界のクリエイターは、ジョブズが生み出したアップルを愛してやまない。

         今後は、ジョブズが なぜiPadの画面サイズに拘るのか、そして個別のiPadアプリの分析・考察に入って行きたいと思う。

        2012年3月6日火曜日

        アップルは「体験」を売り、ソニーは「端末」を売る。

         iPad 最大の魅力とは何か? それは、個性的で味わい深いアプリを楽しめる点にあると、私は考える。至高のアプリ群が存在しなければ、iPadは、ただの持ち運べるディスプレイである。このデバイスの形状とスペックだけ眺めていても、思い浮かぶ用途は限られる。電子書籍専用端末か、Webブラウジングに適した端末であることくらい。しかし、世界中のクリエイターが開発したアプリをiPad上で動かすことにより、iPadは消費者の想像を超えた光景を眼前に登場させる。

         ハードとアプリの一体化した世界観、その体験こそ、アップルが販売している商品である。他社のタブレット端末と iPadとの差異は、そこにある。iPadとソニータブレットのTVCMを比較すると、その違いが際立つ。

         iPadの日本発売時に放送されたTVCMには、画面内に様々なアプリが登場する。ここに世界観が凝縮されている。iPadの形状とスペックだけ分析しても、その本質は見えない。iPadの形状とスペックに統合された、芳醇なアプリ群を擁していることがアップルの強みである。アプリの質が重要なのだ。このCMでは、ハードを見せるのではなく、画面内のアプリと新しいライフスタイルを消費者に強くアピールする。


         一方で、ソニータブレットの日本発売時に放送されたTVCMは、iPadのCMとは対極的である。その画面内に具体的なアプリは登場しない。オーロラ(?)のような光が、ウネウネしているだけである。これでは、このデバイスによって何が出来るのか、消費者の想像力を刺激しない。情報を出し惜しみする場合ではないのである。おそらく ソニー経営陣にも、このデバイスで何が出来るのか 斬新なイメージが浮かばないであろう。ソニーには、このタブレットだけが与えてくれる「新しい何か」を、より具体的に提示して欲しい。誠に残念だ。このCMで、アピールされているのは、手にフィットする形状だけである。


         アップルは 世界中のクリエイターと協働し、これまでと違うメディア「体験」を提供することを目指している。ソニーが目指しているのは、映画・音楽・ゲームなど様々なコンテンツにアクセス出来る、高度な多機能「端末」を提供することである。

         それでは、なぜアップルは 世界中のクリエイターを惹き付けてやまないのか? 次回は、その点について考える。