2012年7月8日日曜日

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その3)

 前回の投稿では、音楽業界における裏事情の一端を御説明した。音楽ビジネスにおける権利と法律に関しては、ここでお話しできない事も含めて、ディープで清濁入り交じった世界だ。しかし音楽業界及び出版業界や映画業界、そして放送業界などコンテンツ産業全体が、技術環境的にも社会環境的にも大きな岐路に立たされている事は間違いない。長らく業界に染み付いている慣習と既得権益そして旧来のビジネスモデル。それらを見つめ直し真剣に向き合い、根源的な変革を実行する事を迫られているのだ。今回は、iPadなどの新しいメディアインフラが、 コンテンツ産業に与える影響について考えてみたい。

3. iPadなどの新しいメディアインフラが、音楽や映画に与える影響

  iPadが凄かったのは、統合開発環境とハードウェアそして課金の仕組みが、トータルで整備された状態で登場した事だろう。iTunesとiPodそしてiPhoneで既に環境が整備され、そのコア・ユーザーが確保されているところへiPadが登場した。iPadは、アプリが無ければただの持ち運べるディスプレイだ。魅力的なアプリがあってこそ、iPadというハードも魅力があるものとなり得る。アップルは自社でOSとハードを設計した。またアップルは、自社でアプリを開発したし、他社のアプリも準備された。全てを野放しにしたら、ハードとユーザーインターフェイスの設計、そして総合的なアプリの完成度やコンセプトが、各社によって一貫性のない混沌とした状態となっただろう。基盤となるOSから、それの動くハードウェア。開発環境からアプリの販売と課金システムまで、トータルでアップルが生み出したからこそ、iPadという戦略と、そのデザインの一貫性を保てたのだ。

 今後iPadアプリの技術が高度化していけば、音楽と出版そして映画や放送は境界線が曖昧になっていく可能性があるのではないか。CDジャケットに代わるヴィジュアル・データと音楽データを統合的にデザインして、iPad用のアプリとして配信すれば、CDアルバムに変わる新しい音楽商品となる。紙に印刷される雑誌を、各ページ毎に画像化して電子書籍にするのではなく、雑誌的な世界観を最初からiPad用のアプリとして編集する事もできる。ヴィジュアルを重視した雑誌編集のノウハウを活かし、文字原稿を写真や動画と組み合わせて、モーショングラフィック満載のマガジン・アプリとしてまとめるのだ。近年、映画はフィルムレスが進んでおり、映画館ではデジタル上映が普及している。最新公開の映画本編が既にデジタル化されているのだから、それをストリーミング映像とし、メイキング映像や様々な作品情報と統合的にデザインし、アプリとしてまとめる事もできる。劇場公開と同時に、iPadにも映画を配信してしまうのだ。スポーツ中継のライブストリーミング映像と文字情報や各選手の経歴・成績を統合的にデザインしてアプリにする事もできる。

 上記のような場合、アプリを動かすハードも技術も共通だが、それぞれのアプリは音楽、出版、映画、放送それぞれの業界における商品の延長上に派生するものだ。内容によりジャンル分けする事ができるが、見た目はiPadで動くアプリである事には変わりない。音楽業界が送り出して来たCD(コンパクトディスク)の延長上にアプリが派生し、出版業界が送り出して来た雑誌・書籍の延長上にアプリが派生し、映画業界が送り出して来た劇場用映画の延長上にアプリが派生し、放送業界が送り出して来たTV番組の延長上にアプリが派生する。かつては、CD、雑誌、映画、TVというように物理的に全く別々の形態であったものが、iPad上ではアプリという共通のエンターテインメントで形を現してしまう。アップルは、iPodで音楽業界に革命を起こした。iPadで出版業界に激変をもたらそうとしている。今後は、映画業界、放送業界にも激震が走るのかもしれない。アップルのiPad以外のタブレット端末も多数発売されている。それらが普及すれば、なおさらコンテンツ業界は様々な対応を迫られるだろう。アップルは、薄型TV市場やカーナビ市場にも踏み込もうとしている。そこでも様々なアプリが投入されるだろう。

 CD、書籍、映画、TVという形態がいきなり消え失せるという事はない。 それぞれにiPadアプリとは違う魅力と感動、そして利便性がある。それと同時に、それぞれの業界に特有の慣習と既得権益そして旧来のビジネスモデルも存在する。スティーブ・ジョブズの凄い所は、OS、ハード、開発環境から販売・課金まで、一連の流れを全てアップルが保有し、その発想力が各業界の慣習や既得権益を飛び越えてしまう所にあるのだろう。普通は、業界との敵対を恐れて守りに入ったり、資金的リスクを恐れて一部を他社に任せると思う。よほどの揺るがない信念と強い意志力の持ち主なのだ。iTunesのスタート時に、アップルがレコード会社との複雑な交渉に成功したのは、スティーブ・ジョブスが自ら乗り出したからだった。ジョブズは音楽マニアで あり、何より音楽を心から愛していた。彼の、音楽を愛する全身全霊の情熱が、ミュージシャンやレコード会社の重役の心を突き動かしたのだろうと思う。だからジョブズは、音楽の権利問題をクリアできたのだ。彼の魂の迫力が、最終的には業界のしがらみや複雑な既得権益の壁を突き破ったのだと感じる。

 日本の音楽業界や出版業界における権利問題は、アメリカより複雑だといって良いだろう。 日本独自の慣習や特有のルールが存在するからだ。音楽業界の原盤印税や再販制度、出版業界の委託販売や出版契約、日本映画の製作・配給・興行の一体化と系列、放送と通信との境界線。旧い慣習や既得権益を守る事に執着すると、イノベーションに歯止めがかかるし、何よりもビジネスチャンスを逃してしまう。しかし、現状維持バイアスが強力に効いて、なかなか既成概念と独特の組織体質を打ち破る事ができない。日本のコンテンツ産業も正念場だ。特に音楽業界は、大きな転換期を迎えている。音楽の聴き方、販売方法、物流、収益の上げ方は大きく変貌しつつある。そして、音楽の存在意義が問われている。“違法ダウンロード刑事罰化“は、音楽を生み出すクリエイターへの正当な対価を守るという側面もあるとは思うが、レコード会社における当面のビジネスを守るという側面の方が強いのではないか。巨大なレコード会社も、あくまで音楽産業の1部分である。現在は「Pandora」や「Spotify」のように、広告の表示を受け入れれば、無料で100万曲や1600万曲といった単位の楽曲を自由に聴く事ができるサービスまで登場した。音楽の物理的複製物を大量流通させ大量販売し、莫大な収益を上げるばかりが音楽ビジネスではなくなった。音楽データを1曲ごとに有料で配信する事すら古臭くなりつつある時代だ。もはや高度な携帯情報端末やインターネットが存在しなかった時代とは全く別な世界なのだ。ミュージシャンもレコード会社も音楽を愛する消費者の立場に立って議論するべき時ではないか。利益を生み出すために一番重要なのは、ビジネスの論理で単に規制を強化する事ではなく、音楽を愛するユーザーの生き方を想像できる力だと思う。

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その1)  

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その2) 

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