2012年3月7日水曜日

スティーブ・ジョブズは「芸術家」である。

 スティーブ・ジョブズは、経営者であると同時に芸術家である。デザインこそアップルの強力な武器である事は 誰もが認めるところだろう。その美しさは、もはや工業デザインを超えて、美術品のようだ。ジョブズは、会社員・経営者でありながら、同時に芸術家になれることを我々に教えてくれた。企業が特別な存在になる為には、つまり競合他社と一線を画した強烈な魅力を放つ為には、芸術的な感性が必要であることを示した。重要なのは、経営感覚と芸術的感性のバランスである。

 ジョブズの仕事ぶりは、映画監督の行動に重なり合う部分が多い。

 映画監督は、自分で物語やセリフを創る訳ではない。それを創るのは小説家や脚本家の仕事である。映画監督は、自分で撮影する訳ではない。撮影するのはカメラマンである。自分で演技する訳でもない。演技するのは役者である。映画監督の仕事は、個別の実作業をすることではない。目指すべきゴールを明確に伝えて、個別に細かな指示を出し、関係スタッフを一つの方向にまとめて、個々のスタッフの力を最大限に引き出すのが仕事である。優れた映画監督の作品は、ヴィジョンやメッセージがハッキリ打ち出されている。だから、黒澤明が監督した映画は「黒澤明の作品」である。数百人単位のスタッフが動いても、映画監督の個性とリーダーシップが際立って感じられる。それが演出という作業である。映画監督が演出しなければ、スタッフは統一した見解を持つ事が出来ず、一貫性のない曖昧模糊とした作品となってしまう。そうなれば映画が商業的に成功することは難しい。

 ジョブズは、自分でアプリケーションのプログラムを組む訳ではない。自分で工業デザインをする訳でもない。自分でサプライチェーンを構築する訳でもないし、品質管理もしない。彼の仕事は、目指すべきゴールを明確に伝えて、個別に細かな指示を出すこと。そして 関係スタッフを一つの方向にまとめ、個々のスタッフの力を最大限に引き出す事である。結果、アップルから生み出された様々な製品には、ジョブズのヴィジョンやメッセージがハッキリ打ち出されている。多くの消費者を虜にする個性と美学がある。その姿はまるで、歴史に名を残す映画監督(演出家)のようだ。

 ジョブズは、経営感覚と芸術的感性のバランスが秀逸だったと思う。経営感覚を「分析」、芸術的感性を「直感」と短く表現するならば、その間を繋ぐのは「技術」である。利益追求のため計算的でありすぎると、直感の価値を見失う事がある。感性に頼りすぎて、戦略構築や計量的・分析的な裏付けを怠れば、大きな赤字を生む可能性が高まる。しかし、技術的素養、最新の技術開発動向の把握がなければ、そもそも直感も分析も活きたものにはならないだろう。ここで言う技術的素養とは、プログラマーなどの技術者が実際の開発に必要とする、現場での細かな技の数々の事ではない。プログラマーなどの技術者と コミュニケーションするために必要な準備が整っているか、という事である。映画監督が撮影カメラの操作方法を細かく知っている必要はない。実際に操作するのはカメラマンだからだ。しかし、カメラマンに指示する為には、カメラアングル、カメラワーク、露出や色彩の効果などの関連知識の準備は必要である。ジョブズは「分析」「直感」「技術」のバランスを絶妙に維持していた。

 大抵の映画制作スタッフは、優秀な映画監督(演出家)と仕事をしたいと熱望しているだろう。大規模な映画は、数百人単位でスタッフが動かなければ作り上げる事は出来ない。全てを一人で創り上げる事は出来ないのだ。各スタッフの力が効果的に一体化した時、個々のスタッフの仕事も、それぞれ輝きを放つものになる。映画制作スタッフは、明確な理念を打ち出す映画監督と組みたがっている。

 iPadやiPhoneのようなデバイスも、多数のスタッフが開発から販売まで関わることになる。全てを一人で創り上げる事は出来ない。個々の外部クリエイターのアプリ開発も、ハードのスペックやiTunesのような配信と利益分配システムがあってこそ成り立つ。各スタッフの力が効果的に一体化した時、個々のスタッフの仕事も、それぞれ輝きを放つものになる。その為には、明確な理念を掲げ、全身全霊を懸けてそれを形にしようとする演出家・経営者が必要なのである。しかも技術動向の先を読まなければならない。ジョブズは ブレることなく、それを実行した。理念もあり、芸術を愛し、技術的素養もあった(技術者ではないが)。だからこそ 世界のクリエイターは、ジョブズが生み出したアップルを愛してやまない。

 今後は、ジョブズが なぜiPadの画面サイズに拘るのか、そして個別のiPadアプリの分析・考察に入って行きたいと思う。

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